乳腺と向き合う日々に

2021.09.07

高濃度乳腺の乳がんリスクについて

高濃度乳腺とは ーAre You Dense?ー のブログで、乳腺には個人差があり、その濃度に差があることを解説しました。
乳腺痛 ~痛いのが気になって来ました~ のブログでは、乳腺痛について触れていますが、閉経前後の年齢で、高濃度の乳腺の方では、非周期性の乳房痛を訴える方が多く、濃度と乳腺痛には関連があることが知られています。

高濃度乳腺は、授乳経験が少ない女性に見られる傾向があります。”子供を産んでおられない女性に乳がんのリスクは高い”ことは一般の方もご存じの方は多いかと思います。こうした観点からも、高濃度乳腺は乳がんリスクは高いのではないか、は気になるところです。
ただ若年者では授乳経験はなくて当たり前であり、高濃度乳腺が普通の状態です。どれくらいの年齢で、そして高濃度乳腺であったなら、どれくらい乳がんリスクが上昇するのか、その具体的なことがわからないとただただ怖いだけです。
最近これに関して詳しい発表があったのでまとめてみたいと思います。

参考: Dense Breasts Linked to Increased Risk of Invasive Cancer in Older Women— Breast density, life expectancy could be factored into considerations for continued screening
by Mike Bassett, Staff Writer, MedPage Today August 27, 2021

スペース

高濃度乳腺はどれくらいリスクがあるのか?

高濃度乳腺ついて、濃度の高い乳腺は、同じように検診を受けても小さな病変の発見が難しいことだけではなく、もともと乳がんが発生しやすくリスクが高いという話をしてきました。

ただ子供さんを生んでおられない若い方の乳腺の濃度が高いことは当たり前なので、同じように高濃度乳腺であっても、高齢であってなおかつ高濃度であることが乳がんリスクを高めることも理解できます。実際 65歳以上の女性が濃度の高い乳腺である時、リスクが高いことが以前から指摘されています。

BMI、つまり肥満の程度によっても乳腺の濃度は影響されます。痩せていれば濃度が高いことが多いからです。一方で肥満は乳がんのリスクを上昇させます。肥満すれば乳腺濃度は落ちやすい、しかし肥満で乳がんリスクは上がる。乳腺濃度と乳がんリスクの関係性を考える際に、肥満の要素を加味して考えないといけません。

BMIの値にかかわらず、高濃度~不均一高濃度乳腺の方は散在性乳腺の方と比較した場合、65歳から74歳では1.39倍(HR 1.39(ハザードと言ってリスクはどれくらい上昇するかを示します, 95%信頼区間(95%の確率でこの範囲内に正解があるという意味になります) 1.28-1.50)、そして75歳以上では1.23倍(HR 1.23, 95%CI 1.10-1.37)です。

(reported Dejana Braithwaite, PhD, MSc, of the University of Florida Health Cancer Center in Gainesville, and colleagues)

(ここからは米国の話になりますが)

米国では75歳の女性はさらに平均12-14年の余命が見込まれます。こうした方に対して、乳がん検診を受けるかどうか、その適応を考えるにあたっても、生涯わたる乳腺濃度の乳がんリスクに与える影響を考えるに際しても、75歳以上の高齢女性のリスクを検討することには意味がある、と考えられます。

乳がんリスクは年齢とともに上昇を続け(これも米国ではそうですが、日本ではピークは閉経前後にあり、その後は減少します)、乳腺濃度と乳がんリスクの関連性も示唆されています。健康な75歳以上の女性に対しても、マンモグラフィー検診の機会を設けることで、乳がんによるリスクを減らすことは可能です。

ただこうした年齢の女性に対する研究そのものが不足しています。なにより肥満度を考慮しての検討がなされてきませんでした。

さて本題

米国Breast Cancer Surveillance Consortiumのデータから、1996年から2012年までにマンモグラフィ検診を受けた65歳以上の女性を解析しました。
総人数221.714名の女性を解析し、うち193.787名 38%が75歳以上でした。
大部分は65歳から74歳(64.6%)であり、白人(81.4%)でした。
(64.6+38>100なんですがその理由はわかりませんでした。筆者:注)
乳腺濃度はBIRADS(米国の放射線科医による分類基準)によって、脂肪性、乳房散在、不均一高濃度、極めて高濃度、と4段階に分けました。
65歳から74歳までの女性では、16.5%が脂肪性、51.4%が散在性、32.1%が不均一高濃度から極めて高濃度に分類されました。75歳以上ではそれぞれ17.5%、52.0%、30.5%でした。
(下の表を参考にしてください。高齢であっても、また時々患者さんが口にされますが、”垂れて”いても、濃度は低いとは限らないことがわかります。日本人のほうが実際は米国の方より濃度は高いことが予想されるので、頻度はこれより高い可能性があります。筆者:注)
乳腺濃度の頻度 脂肪性乳腺 散在性乳腺 不均一高濃度から
極めて乳腺
65歳から74歳 16.5% 51.4% 32.1%
75歳以上 17.5% 52.0% 30.5%
これらの女性を平均6.3年経過観察し、5,069名の方が乳がんを罹患しています。
65歳から74歳の女性では乳腺濃度に比例して、浸潤性乳がんの発生頻度が上昇しています。
今後5年間でどれくらいの比率で乳がんが発生するかについて
脂肪性乳腺 11.3名(1000名あたり) (95% CI 10.4-12.5)
散在性乳腺 17.2名(1000名あたり) (95% CI 16.1-17.9) 
不均一から極めて高濃度乳腺 23.7名(1000名あたり)(95% CI 22.4-25.3) 
同じことは75歳以上の女性でも言えています。
脂肪性乳腺 13.5名(1000名あたり) (95% CI 11.6-15.5)
散在性乳腺 18.4名(1000名あたり) (95% CI 17.0-19.5) 
不均一から極めて高濃度乳腺 22.5名(1000名あたり)(95% CI 20.2-24.2)
(下の表を参照してください。年齢に関係なく、濃度に伴って乳がんリスクが上昇することがわかります。筆者注)

今後5年間で1000人当たり
何人の方が乳がんに罹患すると
予想されるか 
65歳から74歳までの女性

今後5年間で1000人当たり
何人の方が乳がんに罹患すると
予想されるか
75歳以上の女性

脂肪性乳腺 11.3名 13.5名
散在性乳腺 17.2名 18.4名

不均一高濃度から
高濃度乳腺

23.7名 22.5名
65歳から74歳の女性でほぼ脂肪性の乳腺の方は、散在性の乳腺の方と比較して、たとえその方の肥満度を考慮したとしても(つまり肥満しているから脂肪性乳腺になっているという場合を考え併せても、という意味です)浸潤性乳がんのリスクが低下していました。(肥満しておられる群同士で比較しても0.71とリスクは下がっており、肥満しておられない方同士比較しても0.53とリスクは脂肪性乳腺で下がっていました。)
75歳以上の女性でもこれは同様に認められました。(肥満しておられる群同士で比較しても0.70とリスクは下がっており、肥満しておられない方同士比較しても0.82とリスクは脂肪性乳腺で下がっていました。)
肥満している方は脂肪性乳腺なのか、については65歳から74歳の方も、75歳以上の方も、そんな傾向は認めませんでした(つまり肥満していても、高濃度乳腺であることはあり得るし、痩せていても脂肪性乳腺はあり得ます。筆者注)
乳腺濃度と乳がんリスクは正の相関を示す。それは65歳から74歳、そしてそれ以上の女性でも同様に認められました。
これらのことからわかることをまとめます。
高齢の女性であっても、今後の人生において、マンモグラフィ検診を続けていくメリットデメリットについて、乳腺濃度が与える影響を検討しながら、考えていかないといけない。
マンモグラフィ検診をいつ辞めるべきかはこうした個人個人の事情を基に決めるべきであり、一律には論じられない。

ここからは私の注釈です
この論文の筆者は、これらのデータをもとに、75歳以上の女性に関しても、マンモグラフィ乳がん検診の必要性について考えよう、と締めくくっています。ただ少なくとも、ご自身の乳腺濃度をご存じない方がおられたら、それを尋ねるためにも検診を一度は受けておいた方がいいのは確実ではないでしょうか。
たしかにその方の人生観もあることになりますので、一概に全員マンモグラフィ検診を受けるべきとは言えません。ただ脂肪性、散在性乳腺では実は触診も容易なため(乳腺が全体に柔らかいので、硬い腫瘤を自分で触っても見つけやすい)、乳がんリスクは低く、自己触診で見つけることも比較的容易、なのです。
不均一高濃度から高濃度乳腺の方はそれが逆になります。

高齢であっても、乳腺濃度の高い方は、乳がん罹患のリスクが高く、くわえて自分で触るのでは乳がんのしこりを見つけにくい。

やはり検診の継続が勧められるのは、まさにそういう方ではないでしょうか。

2021.08.31

番外編 ホルモン補充療法と乳がんについて

更年期障害は、女性にとって大きな問題になることがあり、生活に支障をきたしたり、質を落としてしまうこともあります。更年期が女性ホルモンの減少を原因とするのなら、補充してしまえばいい、単純に言えばそうなります。主に婦人科において行われるのですが、経口飲み薬、最近ではシップのような貼り薬もあります、注射もあります、こうして何らかの女性に関するホルモンを補充する治療一般をホルモン補充療法と呼んでいます。
更年期障害の治療に対して行われるだけでなく、たとえば生理痛、子宮内膜症に対する治療、骨粗鬆の予防、避妊目的に行われるホルモン補充療法もあります。治療の目的は異なったとしても、女性ホルモン、エストロゲンの補充を目的に行われる治療は原則ホルモン補充療法です。エストロゲン単独で投与すると、子宮内膜が刺激され、子宮体がんのリスクが上昇します。そのため黄体ホルモンであるプロゲステロンを並行して投与し、定期的に生理を起こさせて、閉経前に類似した状態を作り出す、そうして更年期をはじめとする状態を脱出させることを狙って治療することが通常です。

さて、乳がんの治療で、ホルモン剤を使用することがあります。エストロゲンを抑制する薬です。乳がんで使うのはしたがってホルモン補充とは反対の働きをする薬を使います。
そこで、ホルモン補充療法を行うと、乳がんのリスクが上がるのではないか、あるいは乳がんが再発しやすくなるのではないか、という考えが出てきます。
これに対する回答を、ここで最初に簡潔に言い切ってしまいます。例外もありますが、ここでは原則を先に示すことで後の解説をわかりやすくする目的です。
・乳がんにすでに罹患している方ではホルモン補充は禁忌です。
・乳がんの家族歴が濃厚で、乳がんの遺伝的な傾向がある方も禁忌です。

これらを除く方にホルモン補充療法を行った際の乳がん発生リスクについて
・エストロゲンの単独補充では、乳がんのリスクはほとんど上がりません。(しかし子宮体がんのリスクが上昇します)
・エストロゲンとプロゲステロンの併用補充療法では、乳がんの発生リスクが使用期間に比例して上昇していきます。

”禁忌”は、ダメということなので悩みませんよね。
ここで注意してほしいのは、”ほとんど上がらない”というのはどれくらい上がるのか、”上昇する”というのはどれくらい上昇するのか、それを明らかにする必要があるのです。
100円は1円に比べればべらぼうに”高い”ですが、10,000円に比べれば”安い”です。”わずかに上昇する” とか ”増加します” という言葉だけではなく、実際具体的にどれくらい上昇するのか、を示さなければ意味がないのです。

Vinogradova Y, Coupland C, Hippisley-Cox J. Use of hormone replacement therapy and risk of breast cancer: nested case-control studies using the QResearch and CPRD databases. BMJ. 2020:m3873.

このデータはイギリスから昨年発表された論文から引用しています。
50歳から79歳、1998年から2018年、合計で98,611名の女性とさらに457,498名の女性からデータを回収して検討した巨大な研究で、その意味からは大変信頼性は高いと考えられます。
データの見方ですが、ホルモン補充療法を受けていない方に乳がんが発生するリスクを1として、ホルモン補充療法を受けるとどれくらい上昇するか、を示しています。
例えば1番下に書かれているTiboloneですが、これはエストロゲンとプロゲステロンの併用に類すると思ってください。(日本ではまったく同名の薬剤は使用されていないようです。)0.4と書いているのは平均0.4年飲用(1年以内)されていた、ということです。リスクは0.95なのでむしろ発生率は低いくらいです。そのあとのカッコの中、0.87 to 1.03はこのリスクは95%の確率で0.87から1.03までに収まる、という意味になります。つまり最悪、1.03倍のリスクの可能性がある、ということです。5年を超えると、リスクは1.33となっています。つまり補充療法を受けておられない方の1.3倍乳がんに罹患する可能性があります。あれ、思ったほど高くないんだ、と感じた方もおられると思います。

注目なのは Oestrogen(=エストロゲンです)のところです。
3-4年でわずかに上昇しているものの、10年以上継続しても、基本 乳がんリスクは上昇していません。エストロゲン単独補充では恐れていたほどリスク上昇はないようです。ただそれでも10年越えではデータは1.17、95%信頼区間でみても、最低で1.08と、1を超えているので、”わずかに”リスクが上昇することは明らかなようです。
ですので、その数値と、自分の更年期を含めた症状の辛さを天秤にかけて決めていけばいい、ということになります。

まとめるならば、ホルモン補充療法では、1年以内であれば、ほぼ乳がんリスクの上昇は見られないので、それによる更年期症状の改善のメリットと、乳がんリスクの上昇を天秤にかけて、継続するかどうかを決めていけばいい、となるでしょう。
ただしそれは乳がんリスクだけであることにご注意ください。薬剤によっては心臓、血管系にリスクを持っていたり、先に述べた子宮体がんリスクを上昇させます。ここでは省略しますが、それらもすべて考えあわせて治療を決めていく必要があります。

先のデータからだと、エストロゲン単独でのホルモン補充療法は乳がんリスクは上昇しにくい、しかしもともとこの論文は50歳以上を対象としており、閉経前の方はもともとご自身の体の中でプロゲステロンが供給されています。つまりエストロゲン単独投与でも、単独にはなりません。そして閉経後であっても単独での使い方は子宮体がんリスクを上昇させてしまうことを忘れてはいけません。ですので婦人科は子宮のある方ではプロゲステロンの併用を標準としているのです。(これを併用し、中止すれば消退出血が起こります。つまり生理が来ます。子宮内膜に発生するがんである子宮体がんはこれによってリスクを大幅に下げることが可能になります)。生理的な状況を作り出すことがホルモン補充であり、閉経後もそれを作り出そうとすればやはり乳がんリスクは上昇するとも言えます。ただわずかな期間であれば(長くても5年)、3-5割増し程度にリスクは収まり、先のデータでは示しませんでしたが、中止したのちは速やかにリスクは下がるようです。

また乳がんにすでに罹患している方、遺伝的な要素があり、乳がんのリスクが一般の方より高い方は、もともと今回の検討には含まれていません。先述したとおり、ホルモン補充療法は禁忌とされています。

心臓・血管系、高血圧の合併症は循環器内科、子宮体がんや内膜症は婦人科、乳がんは乳腺外科、と発生する副作用が様々な診療科にまたがるため、婦人科で処方された薬剤であっても、副作用のカバーは婦人科だけでは難しい場合があります。それを考えに入れて、それぞれの副作用のケアをしながらホルモン補充療法を安心して受けていく、その必要があるといえるでしょう。

2021.08.23

ホルモン剤を飲んで、治療するということを、もう一度考える。第2回

ホルモン剤はなにをしているのか?

女性ホルモンの働きをブロックすることで、乳がん細胞の分裂を抑制する、あるいは止める。
この考え方に間違いはありません。乳がん細胞の中には女性ホルモンに”依存”しているものがおり、女性ホルモンが枯渇すると増殖を止めてしまうものがいます。乳がん患者さんのほぼ6割以上がそうであるとされており、女性ホルモンを抑えるための薬を飲んでおられるのはそのためです。

注射で行われる薬を除けば、その薬は大きく二つに分類されます。

SERMと呼ばれるタモキシフェンと、

アロマターゼ阻害剤と呼ばれるアリミデックス、アロマシン、フェマーラ(この3種類のうちどれかを飲まれていると思います)です。

ここでSERMですが、初めて聞かれた方も多いでしょう。”選択的エストロゲン受容体調整薬”の略語です。SERMでネット検索をすると、しかしタモキシフェンもヒットしますが、同時に骨粗鬆の治療薬がヒットします。このことで分かるようにエストロゲンは骨に関係が深く、エストロゲンの働きを抑えれば骨はもろくなり、刺激することで骨は丈夫になります。(ここではきわめて簡単に言ってしまっていますが、その機構はもっと複雑です。)ここで矛盾に気が付かれた方も多いはずです。タモキシフェンは女性ホルモンの働きをブロックするはずですが、骨に対しては女性ホルモンのようにふるまうのです。したがってむしろ骨は丈夫になる働きをします。

ではアロマターゼ阻害剤では骨は丈夫になるでしょうか?
いえ、アロマターゼ阻害剤では骨はもろくなり、骨粗鬆が進みます。
なぜそのような違いが生じるのでしょうか?

エストロゲンブロック

上の絵を見てください。
女性ホルモンをカギに、そしてそのホルモンの信号を受け取る”レセプターを鍵穴に例えました。
女性ホルモンは共通ですが、鍵穴のほうが骨、子宮のものと、乳腺のものでは微妙に異なっているのです。女性ホルモン(エストロゲン)は両方を開けることができます。鍵が開くと、刺激がそれぞれの臓器を構成する細胞に入り、増殖が始まります。

SERM、ここではタモキシフェンは大変特殊な働きをします。女性ホルモンに似ていますが、微妙に異なる鍵であるため、骨や子宮の錠前は開けることができるのですが、乳腺の錠前には刺さったきり、開けることができません。この刺さるけれども開かないところがミソなのです。
エストロゲンがやってきても、タモキシフェンが鍵穴を塞いでいるので、乳腺の錠は開かないのです。タモキシフェンは女性ホルモンの1000倍以上の強さをもって乳腺の鍵穴に引っ付いてしまって、これをエストロゲンからブロックしてしまうのです。

ではアロマターゼ阻害剤はどうなのでしょうか。

Aiのブロック

上の絵を参考にしながら読んでください。

女性ホルモン、この場合エストロゲン、は主に卵巣で作られます。若い女性(閉経前女性)では、この卵巣で作られるエストロゲンの働きによって、性徴がおこり、女性として体がつくられ、排卵し、妊娠し、子供を授かることができるようになります。
閉経後は、この卵巣からのエストロゲンの供給がほぼなくなりますが、それによって女性ホルモンが0になってしまうのか、と言えばそうではありません。副腎という腎臓の上のところに存在している小さな臓器が男性ホルモンをつくっており、それが脂肪細胞によって女性ホルモンに変換されます。これによってわずかですが、エストロゲンが体には供給されているのです。もちろんこれは男性にも起こりますので、男性にも女性ホルモンは流れています。量がわずかなだけ、はるかに男性ホルモンが多いだけです。
脂肪細胞に存在し、男性ホルモンから女性ホルモンを作り出す物質がアロマターゼであり、これをアロマターゼ阻害剤はブロックするのです。
これによって閉経後にわずかに供給されていた最後の命脈を絶たれたエストロゲンは、体の中で文字通り”枯渇”します。タモキシフェンとはレベルの違う女性ホルモンの抑制が起こるのです。骨も、子宮も、乳腺も、エストロゲンが枯渇しているわけですから、刺激が一切来なくなります。

ただ注意が必要なのは、アロマターゼ阻害剤は、脂肪細胞におけるアロマターゼの働きを阻害しますが、卵巣は抑制しません。そのため、閉経していない、つまり卵巣が働いていれば、全く効果がありません。
逆にタモキシフェンは女性ホルモンが卵巣から供給されようが、脂肪細胞から供給されようが、そもそも鍵穴自体がふさがっているので、ブロックできるのです。

したがってアロマターゼ阻害剤は閉経後、それも間違いなく閉経していることが条件となります。
そしてタモキシフェンは閉経前であっても、閉経後であっても、効果はあるのです。

なるほど、たしかに閉経前がタモキシフェン、閉経後がアロマターゼ阻害剤、という風に単純にいかないことはわかった。でも、それだと逆にタモキシフェン一択でいいのではないか?
なぜ閉経後はアロマターゼ阻害剤を使われることが多いのか?

それを次回に触れていきましょう。

ホルモン剤を飲んで、治療するということを、もう一度考える。第3回
(クリックするとジャンプします)

2021.08.23

乳腺痛 ~痛いのが気になって来ました~

まずは乳がんの検診を受けてください。
検査を受けて”乳がんではない”と診断されました、話はそれからです。 

「乳がんではありませんでした。」

「ではなぜ乳腺が痛いのですか?」

外来診療をしていてよくあるやり取りです。たしかに痛いのが気になって受診したのに、乳がんではありません、では答えになっていません。

乳がんは基本的に痛みはありません。痛みがないというよりも、自覚症状としていきなり痛みは出てこないということです。進行すれば痛みは出てきますが、少なくとも検診を受けて見つからないような、1㎝以下の早期乳がんが痛むことはまずありません。もし乳がんが早期から痛みがあってくれれば、進行するまでには耐えられなくなって受診してくださるでしょうから、手遅れになることがありません。したがって検診がいらなくなります。乳がんは痛まないのです。

10人に1人が乳がんに罹患する時代なので、皆さんの周囲に乳がんになられて、元気になった後も、乳腺を痛がっておられる方をご存じかもしれません。ただ乳がんは手術されるまで痛くなかったはずです。尋ねてみてください。

 「私の乳腺のしこりは痛む、だから乳がんじゃないよね。」

これも間違いです。乳腺痛と乳がんの関係は深いのです。乳がんそのものは痛まない。でも痛みがあるような乳腺に乳がんはできやすい、のです。いやらしいですね。だから最初に言いました。まず検診を受けて乳がんはない、でも乳腺が痛む、なぜだ、です。

一般に、乳房痛は、出現時期と月経の有無などから ①周期性乳房痛、②非周期性乳房痛、に分類されます。

周期性乳房痛

月経黄体期から出現し、月経開始まで持続ないしは増強するのが特徴で、持続期間は7日以上、痛みの程度は中等度以上で睡眠障害(10%)や通勤や通学などの社会生活への影響(6~13%)、不快感・苦痛感(36%)、性生活への影響(48%)などを伴います。また、月経前緊張症の一症状として出現しますが、その頻度は低くて、16%前後とされています。内分泌変化によるものが主な原因とされています.

病的な現象としての周期性乳房痛は、乳癌の発症・増殖、発育に関する危険因子の1つで、乳癌リスクの有意な増加が認められています。

非周期性乳房痛

月経周期と関係なく出現する痛みで、周期性乳房痛よりもまれです。閉経前よりも、閉経後に多く出現します。痛みの性状は、局所性から乳房全体に及ぶようなものまで多彩です。後述するような外傷、炎症などのはっきりした原因があれば別ですが、はっきりとした乳房痛の原因を特定することは困難です。しかしさまざまな研究から、非周期性乳房痛もホルモン変化か原因と考えられています。

非周期性乳房痛には、たとえば糖尿病性乳腺症といって、血糖値の持続する異常によって引き起こされる乳腺の炎症のこともあります。また、乳汁を運ぶ管である乳管が拡張し、中に浸出液をため込んでいる、のう胞と呼ばれる袋が感染をきっかけに痛むこともあります。たとえば帯状疱疹と呼ばれるウィルスによるものや、その関係で肋間神経痛として存在する乳腺痛もあります。こうした乳腺痛であれは、受診によってほとんど診断がつきます。

こうしたなんらかの疾患が存在しないのに、片側性、局所的で持続する乳房痛は、ホルモン変化との関与が示唆されていることはすでに述べました。ホルモンのバランスが悪くなってくる閉経前後に発生する非周期性の乳房痛は、乳癌の発生との関連性が認められています。

非周期性乳房痛がある方で、乳がんである確率は高いものではありません。それだけでがんとは言えません。逆に、乳がんの方に非周期性乳房痛を伴う頻度はある程度分かっていて2~7%前後とされています。つまり乳がんそのものが痛くなくても、乳がんの方の20人に1人くらいは乳腺に痛みがあるということです。これは高いですよね。注意を要します。

視・触診と画像検査などから炎症を含む乳房の器質的疾患が否定されたならば、頑固な乳房痛についてはホルモンを中心とした検査が必要となります。

たとえば感染を伴う乳腺炎、糖尿病性乳腺症、帯状疱疹など、疾患が関与していればその治療が先に必要です。

こうした疾患が否定され、それでもなお引き続く乳腺痛に対して、ホルモンバランスの調整を目指した治療がなされることがありますが、こうした治療に用いられるホルモン剤などは、いずれも副作用があるので、産婦人科医との連携治療が必要となります。

ここまでの説明で、乳腺痛と乳がんには関係性がある、というところは理解していただいた、と思います。しかし、なぜ痛むのか、についてまだ話をしていませんよね。

たとえば生理痛として重い下腹部痛に悩んでいる方がおられます。ひどい時には婦人科で低用量ピルを処方されて、飲用しておられる方もいるでしょう。ホルモンを調整することで痛みは改善する、ということはホルモンのバランスを崩すことで生理痛が出現し、調整できれば痛みは消える、ということになります。

その際不思議と、子宮がんではないか、とは心配されないようです。

でも乳腺が生理の時に痛むと、乳がんを心配される方がいます。

同じように痛みが出ても、なぜ子宮と乳腺で、心配する、しないが異なるのでしょうか。 子宮は生理の時には出血します。壊して作り直している、だから痛むことがあるだろう、そう理解されているのではないでしょうか。でも生理の時に壊して作り直されているのは実は子宮だけありません。子宮内膜ほどではありませんが、乳腺もダイナミックに修繕されています。そうしなければならない理由があるのです。

皆さんは使わない臓器はだめになることをご存じですか。たとえば大切な眼、視力がなくなれば大変です。でもたとえば健康な眼であっても3年間眼帯で覆ってしまえば、3年後、眼帯を外しても元のようには見えません。白内障になった眼を放置していれば、手術をしてレンズを入れ替えても、神経が痛んで弱視になってしまい、元には戻らないのです。

でも乳腺や子宮はどうでしょうか。1人目の子供を授かり、その後10年間事情があって妊娠しなくても、10年後に機会があればちゃんと妊娠し、授乳できます。使わないでいればだめになる、そうならないのです。たとえ使われていなくても、毎月周期的に更新されているから、に他なりません。

ただそれは体にとって大きな負担です。痛みを伴うことなのです。

子宮では使われなかった子宮内膜は出血とともに排出されます。乳腺では古くなった組織はアポトーシスと言って自ら壊れ、再利用のために体に吸収されます。その際にはたくさんの老廃物が産生されます。それはリンパを中心とする様々な体の下水道を通って排出され、吸収され、再利用されます。そしてまたいつでも利用できるよう再生されるのです。

逆に授乳の際を考えましょう。その際には基本乳腺は破壊と再生を行う必要があまりありません。栄養をミルクに変えて分泌する、本来の働きをただ継続していればいいからです。組織にかかる負担は破壊と再生よりも軽いことが想像できます。 周期性に起こる乳腺痛はしたがって子宮の生理痛に相当するものです。非周期性に起こる乳腺痛も、ただ不規則になった、あるいは生理にまで至らなくなったホルモンのバランスの崩れによって起こるものなので、原則それに類するものだ、と考えられます。規則正しいホルモン周期によって、規則正しく破壊再生を行っている乳腺と異なり、バランスの悪くなった状態で破壊再生が行われているとしたら、乳がんが発生する危険性と関与することも理解しやすいのではないでしょうか。したがって非周期性の乳腺痛がある方では、定期的な乳がん検診がより強く勧められます。

まとめます。
・ホルモンのバランスが崩れれば子宮の生理痛と同様に、乳腺に痛みが出ることがある。
・ホルモンバランスが崩れが関与するので
、乳腺痛と乳がんの関与はあり得る。
・ただ乳がんそのものが痛みを初発症状とすることはめったにない。
・乳腺痛、特に生理と関係なく非周期性に発生する乳腺痛があれば、定期的に乳がん検診を受けることがより勧められる。

・痛いから検診を受ける、痛いからがんではない、は両方とも正しくない。

乳腺痛ついて、新しい切り口でもう一度検討をしています。
よかったら参考にしてみてください。

乳腺痛について・・・その1 
続けて その2 その3とあります。読んでみてください。

2021.08.17

ホルモン剤を飲んで、治療するということを、もう一度考える。第1回

この話の最初はこの質問から始めます。
1000人の生徒を抱える塾がABと二つあります。Aの塾では499人が東大に受かります。Bでは500人です。わずかな差ですが、10年間の平均の成績から明らかにBの塾のほうが優れていることがわかっています。しかしAの塾は毎月1万円、Bの塾は100万円の授業料がかかります。皆さんは子供をどちらの塾に入れますか?」

最初から難しい話で申し訳ない。

ホルモン剤はそもそもなぜ飲まなければならないのか? 

これがわかっておられないまま飲まれても10年どころか5年飲むことも苦痛でしょう。

がんだからでしょう? そのとおり。
でもホルモン剤はがんに対してどうしてくれるというのでしょう?

治してくれる。 それは当たり前ですけれどもね。

ホルモン剤に限らず、抗がん剤にせよ、分子標的薬剤にせよ、もちろんがん治療を目的に作られていますが、製薬会社にとってはそれ以上に重要な目的があります。こうした薬剤の開発費は膨大なものとなっており、その回収をしなければ、社員の給料どころか、会社の存続すら危うくなります。投資した分は回収し、さらに次の薬剤の開発費も稼がなければやっていけません。効果は大きく見せたいですし、副作用は小さく見せたい。その上で現在使用されている標準治療の薬剤を“有意に”上回る成績であれば、最上級の成果になるでしょう。

有意な”というのは統計学的に意味がある、ということになります。

サイコロゲームを考えましょう。1-3の目が出ればあなたの勝ち、46が出れば私の勝ちです。お気づきですが、このゲームは繰り返せば繰り返すほど、回数を増やせば引き分けになります。ですので、最初の3回連続で貴方が勝った、としても、だから貴方はこのゲームにおいて私よりも強い、と結論付けるのは間違いです。

ただ回数を何回くらいまで増やしたら大体引き分けになってくるか、それが問題です。1回だと絶対に引き分けはありませんよね。最低6回は必要そうです。

このサイコロを100の目のサイコロとします。たとえば1が出れば貴方が勝ち、2から100までなら私が勝ち、その勝負をする人はいません。1から49なら貴方、50から100なら私、これも実は私が勝ちですが、その差がわずかしかないので、おそらく6回勝負したくらいでは結論は出にくい。貴方と私の勝率がきちんと4951になるのには相当な数の勝負をしないといけないと思います。

 逆にわずかな差しかなくても、それに対応するだけの千回、一万回、十万回と多くの回数の勝負をしたら、その差は統計的に“有意な”ものだ、と結論付けることが可能になります。巨額の投資を行い、1000人、1万人といったたくさんの患者さんで臨床試験をすれば、わずかな差しかない薬剤であっても有意差をもって優れている、という結果を出すことができます。

 ながなが話をしてきましたが、こうして証明された“有意に”優れた治療法が、論文になっていたとしても、それはたしかに優れているかもしれないが、実際にその治療法を受けられる患者さんにとって意味があることなのかはしっかり見定めないといけません

「え、どんなに小さな差であっても、わずかで優れている治療法がいいんじゃないの?」
そう思われる方もおられるでしょう。たしかに、学問として考えればそうです。 ただわずかに治療成績が優れているから、それが第一選択の治療法、つまり標準治療になり得るのか、を考えたいのです。
たとえば1000人の生徒を抱える塾がABと二つあります。Aの塾では499人が東大に受かります。Bでは500人です。わずかな差ですが、10年間の平均の成績から明らかにBの塾のほうが優れていることがわかっています。しかしAの塾は毎月1万円、Bの塾は100万円の授業料がかかります。皆さんは子供をどちらの塾に入れますか?

 そういうことです。何事もバランスなのです。
たくさんの患者さんを集めて研究すれば、わずかな差であっても優劣を統計学的に証明することができます。Bの塾はその結果を踏まえてAの塾を研究するでしょう。ABの欠点を研究するかもしれない。それはそれで意味はあります。しかし実際に子供を塾に通わせる親にとっては、その程度の微小な差で、それだけの費用を負担させられるのは受け入れられません。

 最初の薬の話に戻ります。

新薬が開発されたとして、その巨額の開発費を製薬会社は何としても回収したい。そのためには標準治療に何としても勝ちたい、その可能性も高そうです。しかし標準治療は歴戦の勝者、それほどの差は望めません。

そこで10000人の患者さんを集めて臨床試験を行い、標準治療では4999、新規薬剤では5000の人が治りました。統計的にも新規薬剤が優れていることが”有意に”証明されたとしましょう。(実際はこの程度の数で、この程度の差では、統計学的に有意差は証明できません)

 こうして出てきたお薬は“いままでの標準治療よりも優れていることが証明されています”と打ち出し、販売されるでしょう。当然開発費が上乗せされ、特許が乗り、大変高額なものとなるはずです。宣伝費も含まれます。一方で標準治療はすでに特許が切れ、ジェネリックに置き換わっており、安価になっています。 

さあどちらの治療法で治療するのが正解でしょうか?

副作用はどちらが強いのですか?

その考え方が正解です。それなしで決められませんよね。
治療法を選択するにあたっては、したがって優劣がある場合、優を第一選択にしつつもそれがどれくらいの差なのか、は把握しておく必要があります。そのうえでコスト、副作用はもちろん、通院の手間や、経口薬であり簡単に家で治療できるのか、長時間かけて病院で点滴しなければならないのか、も考える必要があります。そうです、バランスをとること、それが一番大事なのです。

これは大変難しい作業です。加えてその患者さんの事情によって、個別に考えていかないと、結論が出ないことでもあります。そのために主治医が必要であり、コンピュータで治療法を決められない理由にもなるでしょう。

ホルモン剤を飲んで、治療するということを、もう一度考える。第2回に続く
(クリックすれば飛びます)

ホルモンレセプター陽性HER2陰性 転移再発乳がんの方への情報

私がたびたび引用している米国臨床腫瘍学会(以下 ASCO)ですが、今年の学会が終了してほぼ2か月経過した今の時期、その学会で発表された大きなデータをもとに、彼らが推奨する標準治療の刷新を発表します。
標準治療とは、日本の”標準”という意味合いと少し異なっていて、”王道”というほうが近いかもしれません。がんの治療は命がかかっていますので、松竹梅で決められてはかないません。最善は一つ、よって王道も一つ、それが標準治療です。(ただし現状、どちらが優れているか決められない時は2-3つの選択肢が提示されていることもあります)

ASCOが標準治療として定めるガイドラインが改定される、その際にはかれらはその新しい項目をピックアップして発表します。変更のないところはあえてもう一度発表しなおす必要はありません。なのでその発表を読めば、今年どんな新しい治療が開発されたのか、そしてその治療はいままでの王道とされてきた治療を塗り替えるものだったのか、あるいは今までにない新しいバイオマーカー(指標となる検査結果、それによって最善の治療方法が変化する)が出てきているのか、一気にまとめて知ることができるのです。(なんて便利なのでしょう。)

先日も”FACEBOOK”にてASCOから発表がありました。
ちなみに乳がんだけではありません。様々な臓器のがん、大腸がんや膵がん、様々に進行したがん、早期がんや、進行がん、転移性のがんなど、それぞれについて今年の最新のデータを基にしたガイドラインの改定が、別々にまとめられ発表されていきます。さまざまな先生方が集まって、今年の新しい発表に他の学会の発表や論文も加えて、話し合いを重ね、できるだけシンプルに整理して発表されていく、そんな感じです。(ああ、本当になんて便利なのでしょう。)

スペース
今回は、ホルモンレセプター(HRと以降は略します)陽性 HER2陰性 転移再発乳癌について、の発表を紹介したいと思います。そこで提示された、今後 ASCOが推奨する標準治療方針です。
もちろん現在治療を受けられていない方にとって、またがんではない一般の方にとってはこの知識は不要かつ、理解が難しいと思います。現在 再発乳がんで治療中の方で、その治療から得られる効果が次第に弱くなってきている、効果が得られなくなるかもしれない、そんな不安を抱えている方のために書かれた記事と思ってください。
1PIK3CA遺伝子に変異を有している進行乳がん、転移性乳がん、男性乳がんに対しては、ホルモン剤 + CDK4/6阻害剤(筆者注:日本ではイブランス®やベージニオ®がそれにあたります)の使用が有効でなくなった際に、Piqray®(これは商品名です。日本では異なる名称になるかもしれません。)(アルペリシブ)の使用を推奨する。ただし副作用*に厳重な注意が必要である。
(*筆者注:SOLOR-1と呼ばれる臨床試験の結果を踏まえてこの発表がなされている。その研究の中で、アルペリシブは副作用として強い耐糖能異常を来すことがわかった。つまり糖尿病状態になる。)

2CDK4/6阻害剤は、閉経後女性に対してはノンステロイダルなアロマターゼ阻害剤(筆者注:日本ではアリミデックス®、フェマーラ®がそれに相当する)との併用を勧め、閉経前女性に対しては何らかの卵巣機能抑制(外科的に卵巣を摘出することを除けば、ゾラデックス®や、リュープリン®などのLH-RH製剤を使用する)を行った上で、それらを行うことを推奨する。

3次世代シーケンサー(筆者注:腫瘍におけるDNA異常を解析する装置)を用いて、PIK3CA変異、BRCA1あるいはBRCA2変異、そして全症例に適応することはまだ時期早々と思われるがESR1変異(筆者注:これが変異すると、ホルモン剤を使ってホルモンによる刺激をブロックしても、勝手に細胞が刺激を受けているかのように振る舞い、分裂を始める)を標的として調査することで、治療方針の作成に役に立てることを推奨する。

これらが示されました。難しいですね。
この記事に興味を持つ方以外だと、理解は難しいと思います。ただすでにホルモン剤とCDK4/6阻害剤を飲んでおられる方で、さらに効果が弱くなって来られている状態の方だと、不安な日々を送られているでしょうから、こうした記事は理解もでき、興味もあるのではないでしょうか。

つまり先述した状態の方であれば、こう読んでほしいのです。

PIK3CA遺伝子の変異を調べ、その異常が見つかれば、アルペリシブという新薬が効果を示す

これが今年新しく示されたのです。

Andre F, Ciruelos E, Rubovszky G, Campone M, Loibl S, Rugo HS, et al. Alpelisib for PIK3CA-Mutated, Hormone Receptor-Positive Advanced Breast Cancer. N Engl J Med. 2019;380(20):1929-40.

実際の論文には図のような結果が示されました。
PIK3CA遺伝子変異陽性の腫瘍を持つ再発患者さんが、フルベストランとアルペリシブによる治療を受けられた場合、フルベストラント単独と比較して、5.7か月から11.0か月も進行を遅らせることがわかりました。たった5か月程度と思われるかもしれませんが、ほぼ倍に伸びています。それから言えば1年で進行する方なら2年に延びる可能性がある、と考えると非常に良好な結果であるといえます。
ただ同時に行われたPIK3CA遺伝子変異のない方での検討では残念ながら差が認められませんでした。

3でも示されているように、PIK3CAというバイオマーカーを参考にして、それが陽性であればアルペリシブが効果があります。
また以前紹介したようにBRCAというバイオマーカーを参考として、それが陽性であればPARP阻害剤、具体的には日本ではリムパーザが効果があります。

以前はホルモンレセプター(HR)、あるいはHER2、この二つが代表的なバイオマーカーでしたが、今ではこれに加えてPIK3CA、BRCA、さらに免疫チェックポイント阻害剤のバイオマーカーであるPD-L1が加わったことになります。単純にHR陽性陰性で2、HER2の陽性陰性で2、と2の5乗、32種類のがんが分類されたことになり、治療も応じて複雑化してきています。将来は次世代シーケンサーで一気にバイオマーカーを検査して、適切な治療法をAIが提示してくれる、そんな風になりそうです。

現在、日本で保険適応とされているのは2だけになります。
3は一部で可能になっています。ただ文面からはPIK3CA変異の検査はルーティンとして施行するべきと書かれていますが、日本では保険収載されていません。またこれが可能になっても、それに対応する治療薬剤のアルペリシブが保険収載されていないため、もうしばらく待たないといけません。
またアルペリシブによって高頻度(3割以上で比較的重症になるとされます)に認められる耐糖能異常のコントロールについても、実際の使用に際しては、発生したときに対応をどうするか、しっかり対策を立てておく必要があるでしょう。

ただこうした道筋が見えていれば、何もない暗闇で待つよりも光が見えています。COVIDのワクチンで分かるように、必要とあれば数か月で臨床導入されるのですから、あきらめるのは早いと思います。

朗報を待ちましょう。

”ブレスト・アウェアネス”という考え方

皆さんはブレスト・アウェアネスという言葉を知っていますか?

長い文章を読んでいる時間のない方に、最初に結論から言います。それほどこの考え方は大事です。
「異常を見つけるためには、まず正常な状態を知らなければ見つけられない」
(乳腺の異常を見つけようと思うなら、まず正常な自分の乳腺の状態を把握しておこう)
ブレスト・アウェアネスはこういう意味になります。

正常な乳腺であることが確約されている日、つまり検診を受けてこの記事に到達したその日にしっかり自己検診をしておき、正常と診断された自分の乳腺の状態を把握しておく。
あとは定期的に触って、今日なかったものは何か触らないか、感じないか、それを探すのが自己検診なのです。

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乳がんは自分でも検診できるがんです。
自覚症状が出現して見つかったがんは早期ではない、は一般の方もよく知っています。がんは初期には症状はないことが多いのです。ですので症状が出現している時点でそれががんだったなら進行がんのことが多いのです。

ただ、乳がんの自己検診は違います。自分で正しく検診してがんを見つけたなら、早期発見されている可能性のほうが高い。その意味からも、そして30歳代から60歳くらいまでで、もっとも罹患率の高いがんである乳がんを、自己検診しないのは何とももったいない話です。

私のクリニックに検診に来られた方に、自分でも自己検診してください、と勧めています。

ただたいていの方は、触ってもよくわからないから…と濁されます。

わからないからやらない。
健康な方は当然乳がんを触ったことがありません。わからないものを手探りで探しに行っても何もわからない、当然です。アサリがどんなものか知らない子供が潮干狩りに行って、砂の中を探しているようなものです。カニでも石でもなんだって拾ってくるでしょう。お母さん、これアサリ? アサリはこれだよ、お母さんが見せてあげて、初めて見つけられるようになります。それでも死んだ空っぽの貝殻を拾ってきたりしますよね。
いままで乳がんに罹患したことのない方が、乳がんがどんなふうに硬く、しこって触るのか、知るはずはありません。だからわからなくて当然です。がんを探しに行くからわからないのです。

わからないからやらない、そういう方の考え方を変えてしまう概念、それが
ブレスト・アウェアネス(Breast Awareness)です。

Awarenessは、訳すと”気づき”とか”認識”となります。”自分の乳腺を知ること”と訳します。

NCCNガイドライン

これは私がよく引用している米国の乳腺の検診と診断のガイドラインの一部です。(もし見られない方は日本語版がありますので参照してください)

ここにブレスト・アウェアネスの言葉が出てきます。参考までに訳してみると、「特にリスクのない、25歳から40歳の女性は1-3年ごとに医療機関を受診し、ブレスト・アウェアネスに気を付けてください」と書かれています。少なくとも米国では乳がんの自己検診において、ブレスト・アウェアネスは教科書レベルの言葉と言えます。

ここでは 私なりの言葉で皆さんにわかりやすく、このブレスト・アウェアネスという言葉を解説してみたいと思います。

まずどこでもいいので、医師が診察してくれて、医師と話の出来る環境で乳がんの検診を受けてください。もし自分で何らかの所見に気が付いていたり、症状があればその際に必ず医師に相談してください。
ドックや会社検診で写真だけ取ってあとから結果が帰ってくる検査はここでは含みません。医師と話ができることが重要です。

マンモグラフィ検査を受けたら、自分の乳腺の濃度を教えてもらって把握しましょう。
高濃度乳腺とは -Are You Dense?ー を参考にしてください。)
もし高濃度乳腺であれば、マンモグラフィ検査だけでは不十分なことがあります。
乳腺超音波検査、場合によってはMRI検査などが必要なら受けましょう。これらによって、ここが硬いな、ここは時々痛いな、そんな自分の気になる症状がある方はそれが悪性ではないことを確認しましょう。そして正常な乳腺であることを確認することがまず前提になります。

帰宅したら、今日の入浴の際に、改めて自己検診をしてください。
できれば生理が終わって1-2週間が理想ですが、そうも言ってられないと思います。インターネットを調べて自己検診のやり方を調べられる方もおられるでしょう。それもいいアイデアです。ただやり方は問いません、とにかく今日、自分の乳腺の全体を触ってみましょう

触っているとき、どこかが硬いと感じるかもしれません。ここは痛いな、と感じるかもしれません。改めて気になる所見が見つかるかもしれません。ただそれらすべてが貴方の正常な乳腺の状態です。

つまり、異常なしと診断された、その日に自己検診を行い、自分の正常な乳腺の状態を把握(認識、精通、熟知=アウェアネスです!)しておくことが重要なのです。

それからは できるだけ生理周期も同じ時期を選んで、さらにやり方も同じやり方で、月に1回は自己検診してみましょう。
もし今日の自己検診でなかった所見が、将来見つかったら、それを異常と考えます。
間髪おかず、かかりつけ医に相談しましょう。

つまりがんを探すのではなく、今日と違っているところはないか、探すのです。
乳がんは原則として痛くもかゆくもありません。ただ硬く、しこりを感じる、それが典型的な症状なのです。裏を返せば触っておかなければ見つかりません。早期の乳がんが、痛みやかゆみ、違和感など、自覚症状で存在を教えてくれることなどないのです。ばれないように、みつからないように、そっと潜んでいる、そう認識してください。見つけに行かないと見つからないのです。そこで武器になるのが、正常な自分の乳腺の状況をアウェアネスしておくことになります。

正常な状態を知っているから異常な状態に気が付くことができる。
異常を探すのではなく、正常な自分の乳腺を覚えておいて、現在の乳腺を比較するのです。
たとえ乳がんを触ったことがなくても、自分の乳腺の正常な状態を把握しておけば、異常には気が付くことができるのです。もちろんそれが乳がんとは限りません。ただ以前はなかったものが何かできている、現れた、それが重要な所見、気づきになります。

先に触れた米国のガイドラインは、
症状がなく、さらに遺伝性の要因、出産授乳経験がない、肥満がない、などリスクのない方で、25歳から40歳の女性は1-3年に1度 医療機関を受診し、異常のないことを確認すること。
そしてその際に自分の正常な乳腺の状態をアウェアネスし、自己検診を行う中でもし異常を見つけたら間髪おかずに医療機関を受診すること。
と書いてある、ということになります。

もう少しお付き合いいただける方へ

すでに乳がんに罹患した方が、遺伝子を検査することに意味はあるか? …その3

さて遺伝子の記事も4回目になりました。
最後に、先日来られた患者さんとの会話をお話ししたいと思います。

「今、乳がんが再発しているのでもない、ちゃんと治ったと思っている。だからもう乳がんのことなんか考えたくもない。やっと忘れられそうなのよ。けれども遺伝子の検査を受けて陽性なんてわかったら、これからずっと気にして生きていかなければならないじゃない。ましてそれを自分の子供にまで引き継ぐなんて想像したくもない。」
そう思われている方にお話ししておきたいことなのです。
そしてこれも陽性と診断されたときのメリットの話なのです。

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検査を受けたから、遺伝子のバリアントが陽性になるのではありません。陽性の方は検査をしてもしなくても、一生陽性です。同様に陰性の方は陰性です。
これは、お説教のように聞こえるので、その時には口にしませんでした。ただどこかで否定したいと思っておられる方はそう言われても心には届かず、受け入れがたいことに変わりはないでしょう。

ここからは実際の会話からになります。
先に子供さんの話が出ました。
患者さんに聞くのですが、娘さんがそういった年齢になられたら、娘さんには、お母さんのように乳がんになったりしない、だから安心して暮らしなさい、というのですか?
それとも、お母さんは早期発見できたからこうして元気なのよ。お母さんが乳がんになったのだから、たとえ同じくらいの年齢の友達がだれも検診していなくても、あなたは気を付けてきちんと受けなさい。そう言うのですか? どちらですか?

きっと後者ですよね。
そこで娘さんはおそらく聞くでしょう。検診受けろ、といったって、私はいま15歳なんだけど、何歳から受ければいいの?もう今年から?

正確にこたえられますか?
参考までに以前も紹介した「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)をご理解いただくために」から引用しました。

18歳から 自己検診を行う
25歳から29歳 医療機関で半年から1年に1回の頻度で、視触診検査を受ける。
1年に1回 乳房造影MRI検査を受ける。MRI検査ができない場合はトモシンセシスの併用を考慮したマンモグラフィを受ける。
30歳未満で乳がんと診断された血縁者がおられれば個別に判断する。
30歳から75歳 医療機関で半年から1年に1回の頻度で、視触診検査を受ける。
1年に1回 乳房造影MRI検査を受ける。MRI検査ができない場合はトモシンセシスの併用を考慮したマンモグラフィを受ける。
75歳 個別に話し合う

この表を参考にされる方に:ちなみにトモシンセシスでもいいかの印象を与えますが、造影MRI検査のほうが優れています。可能な限りMRIの検査を選択しましょう。
加えて注意が必要なのですが、MRI検査を受ける際には月経周期2週目を狙って施行しましょう。それ以外の周期だと乳腺全体に造影剤が入りやすく、同じように検査を受けても病変が見辛く、見つけにくくなってしまいます。
注意:この検査スケジュールは遺伝性乳がん卵巣がん症候群と証明された方に勧められるものであり、そうでない方には明らかに過剰です。

皆さんがこれを覚えていて、正確に娘さんにお話ししたとしましょう。そして娘さんがしっかりそれを聞いてくださって、そして覚えていて、守ってくださったとしましょう。
ただここで思い出してほしいのは、患者さんも、娘さんも、陽性であるとは限りません。
もし陰性であれば、これらの検査はあきらかに過剰です。

ちなみに先に述べた「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)をご理解いただくために」が参照した、米国NCCNのガイドラインによれば、乳がんのリスクが特に高いと言えない方であれば下記の検診で十分であるとされています。(ここで注意をしたいのは、リスクが高くない、と判断するにも専門知識が必要であるということです。血縁者に乳癌の方がいないだけでは低いと言えません。血縁者で卵巣がんの方がおられる、BMI高値(肥満)、飲酒される、出産経験がない、などもリスクになるとされます)

25歳から39歳 1から3年ごとの外来受診
ブレスト・アウェアネス 
筆者注:これは自分の乳腺の状態を普段から把握しておき(つまり自己検診しておき)、異常があればすぐに受診すること、という意味です。重要なことは乳がんは初期には原則として痛みはないということです。痛いからがんではない、は危険ですが、痛くもかゆくもないが、その位置だけ異常に硬い、が乳がんの一般的な症状です。ですので触診していなければ気づきません。
40歳以上

年1回の外来受診
年1回の検診マンモグラフィ(トモシンセシスの併用を考慮する)
ブレスト・アウェアネス

したがってもし娘さんがBRCA遺伝子のバリアントが陰性であるのなら、25歳から39歳まで、不要なマンモグラフィ、さらにMRI検査を受けることになります。
健診は自己負担なので、コストもかかります。なにより、若い方にとってできるだけ無駄な被爆は避けるべきです。マンモグラフィの被ばく量は低いですが、若い年齢から高齢になるまで継続して検査が行われ、さらに通常とは別にトモシンセシス(3Dマンモグラフィ)が併用されていれば決して無視はできません。本来必要な検査でないのならなおさらです。

加えてBRCA遺伝子バリアントがある方では、ある年齢に達すれば卵巣がん、そしてほかのがんに対する検診も必要になってきます。親とはいえ、そこまで管理しきれないのではないでしょうか。

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先生は、陽性と診断された際の”メリット”の話をすると言われたではないですか?それはデメリットでしょう。この話は逆に陰性と診断された際のメリットの話ではないでしょうか?
そう思われた方がおられるかもしれません。

BRCA遺伝子バリアントの検査を受けなければ、それで無視できるものではない、それはすでに話をしました。そして遺伝子の検査を受けてないからと言って、陽性の可能性が否定できなければ、皆さん自身が血縁者にはそういう危険性があるという認識でおられるはずです。そこでご家族に専門知識のないまま、説明し、検査を勧める必要に迫られることがあるはずです。問題はそこなのです。
検査を受けなければ、乳がんを罹患した方ご本人が、ご本人やご家族の、将来のがんの危険性について、しょいこむことになってしまうのです。たとえ自分のことはどうなってもいい、そう思われている方であっても、家族にまでがんの苦しみを背負わせたくない、そう思っている方であるほど、検査を受けないでいる限り、HBOCの可能性から解放されることもないまま、また誰の助けも借りることもできずに、それをしょい込まなければならないのです。

私は、乳がん患者さんで、先に述べたBRCA遺伝子バリアント陽性の危険性が高い方に、必ず一度はそのことを説明し、カウンセリングを受けられるよう勧めています。ただカウンセリングを受けられた患者さん全員が実際に検査を受けられるのではありません。割合として1割くらいの方が検査を受けられ、9割の方は保留されるようです。

私のところに帰ってきた患者さんは、せっかく勧めていただいたのに検査を受けなくてすいません、と申し訳なさそうに謝られます。ただ私は検査を受けられない方に必ずこういうのです。
「いえ、謝ることなどないですよ。私はほっとしているのですから。」

BRCA遺伝子バリアント陽性の方は検査を受けようが受けまいが陽性です。乳がんに限らず、がんについて様々なリスクがあります。
陽性とわかっていない、検査で確定していないのであれば、医師の方か陽性の場合に準じた、過剰な検査をすることはありません。検査の押し売りはできないからです。
ただもし検査で陽性と確定している方であれば、その方が来院されている限り、その方のリスク管理は医師が背負わなければなりません。少なくとも乳腺、乳がんに関しては、間違いなく医師側にリスク管理の責任があります。来てくださればもちろんそのご家族もです。つまり検査を受けて陽性と診断されれば、その後将来のがんに関しては、医師にリスク管理の責任が移るのです。
これが私の考える検査を受けて、陽性と診断された場合のメリットになります。

繰り返しますが、検査をしなくても、HBOCのリスクから逃げられるわけではありません。確かに実際に検査を受けて陰性と確定した時にはその不安からは解放されます。ただお分かりの通り、乳がんの可能性からは解放されません。特別な注意が必要ではなくなる、それだけです。
ただ陽性と診断されたとしても、その後のリスク管理は、医師や、遺伝カウンセラーが主に背負うことになります。もちろん医師や、カウンセラーの意見に耳を傾けていただくことは必要です。ただ患者さんが一人でしょい込む必要はなくなるのです。その意味から私はやはり解放されるのではないか、と考えています。
全部知らなければよかった、それはそうかもしれませんが、過去には帰れません。
もしすべてを忘れることができたとしても、これから必ず必要になる知識だからです。娘さんが、姪御さんが、家族のだれであっても、今後病院を受診した時には家族歴を尋ねられるからです。
未来に向き合うなら、正しく向き合う、一人ではなくみんなで向き合っていけばいい、そう思います。

プレゼンテーション2

2021.07.08

すでに乳がんに罹患した方が、遺伝子を検査することに意味はあるか? …その2

BRCA1/2遺伝子にバリアントがあるために引き起こされるHBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)が関与する割合は、乳がん患者さん全体の4%前後とされています。トリプルネガティブ乳がん患者さん全体ではどれくらいの方が関与されているかについて、日本人のデータはほとんどありません。ただ今年、大阪国際がんセンターから出されたデータによれば、最近7年間 65人のトリプルネガティブ乳がん患者さんを調査したところ、13人(20%)がBRCA1/2遺伝子バリアント陽性であったとのことです [1]。
ちなみに北米やヨーロッパの100名を超える大きなデータベースでは9.3から15.4%とされていますから[2,3]、日本ではそれよりも高い可能性があります。しかし我が国のデータはあまりに数が少ないため、それは今後の調査を待って結論が出るでしょう。ただトリプルネガティブ乳がん患者さんでは、HBOCが関与する比率が、乳がん患者さん全体と比較して高い、ということはすでに確立した概念です。
確固とした治療の標的を持たないことがその名前の由来であったトリプルネガティブ乳がんですが、少なくとも2割弱の方では、HBOCの検査を受けられることによって、治療の標的が見つかる、ということがわかります。HBOCにおけるBRCAの遺伝子バリアントは、現在ではすでに治療の標的なのです。その意味からはもうトリプルネガティブ乳がんというのは失礼かもしれません。ER陰性、PgR陰性、HER2陰性、BRCAバリアント”陽性”乳がんです。
そしてそれが大きなメリットになりつつあることはいままでもこのブログの中で触れてきました。
トリプルネガティブ乳がんと免疫チェックポイント阻害剤 その2
ちなみにHER2陽性乳がん患者さんでは、治療目的にBRCAバリアント検査がなされることは原則ありません。HER2陽性患者さんにも少なからずBRCAバリアント陽性の方がおられるはずですが、BRCAを標的とする治療は原則施行されません。HER2という確固とした標的がすでにあるからです。

ここではがん治療において、標的がある、標的がない、とはどういうことなのか、もう一度整理してみようと思います。それを知ることで、おのずと遺伝子を検査するメリットが見えてくるはずです。

皆さんは学校の職員です。先生としましょう。
教室の生徒の中に悪い子がいます。いつも悪さばかりするので、先生であるあなたは懲らしめたい。そこでその子だけおなかが痛くなるような給食を作りたいと考えました。もちろんその子だけに何か別の給食を作ったら変です。みんな同じ給食を食べるのですが、その悪い子だけにはおいしくない、おなかが痛くなる、ほかのみんなは何ともない、そんな給食の献立はどこかにあるでしょうか?
まず思いつかないと思います。現実はもっと厳しくて、この生徒たちは皆双子、三つ子、四十つ子で同じ遺伝子を持っています。そして悪さしている子だけ懲らしめたい。そんな献立です。抗がん剤を作る、というのはそれによく似たことなのです。

そりゃ無理だ。でも実際抗がん剤は存在して、治療しているじゃないか、それはどんな理屈なんだ?
そう思われる方もおられるでしょう。
現在存在している抗がん剤のうち、以前から存在している薬剤、ここでは”分子標的薬剤”を除く、と考えてください。こうした抗がん剤はどのようにしてがん細胞を懲らしめているのか。

先のたとえで言うならば、みんなの小遣いを一気に減らしてしまいます。そうすれば悪い子が夜中に悪さをするためのお金が無くなって、悪いことができなくなるだろう、今の抗がん剤はそんな感じです。だから他の普通の生徒たちもたとえば参考書が買えなかったり、部活動ができなかったりします。いわゆる副作用です。
そう考えれば抗がん剤の開発が難しく、同時にどうしても副作用から逃れにくいことが理解できると思います。

”標的”があるということ。

普通の細胞と、がん細胞を区別するものが何かないか。
普通の細胞にはないのに、がん細胞にはあるもの。逆に正常細胞にあるのに、がん細胞にだけ存在しないもの。そうしたものを何とか探し出せないか、生物学者が必死に探し続けているものです。それが見つかればその細胞にだけ、栄養を与えず、毒を渡してしまえばいいのです。(ごめんなさい、学校のたとえはその意味ではちょっとよくないですが、御容赦ください)

乳がん細胞のそうした標的の一つがホルモンのレセプターです。
え、正常細胞にはホルモンのレセプターはないの? もちろんあります。
ただ女性ホルモンのレセプターを出している細胞は、女性の性機能にかかわる細胞に主に出現しています。がん細胞以外の正常な細胞であっても、性の活動、妊娠、出産、授乳など、そうした活動をしなければ一緒に攻撃してしまっても問題ありません。もちろんホルモン剤を使用しながら妊娠をすれば重大な問題が起こります。ただそうでなければ、男性が元気に暮らしていけるように、女性の性の活動以外の生活には大きな問題が生じないのです。(注 女性ホルモンをブロックしたからと言って男性にはなりません。男性ホルモンは出ないからです。)

このように標的があれば、それを狙う薬を作る。それが成功すれば治療の劇的な効果と、副作用の強力な抑制が可能になります。極端な話ですが、たとえ効果がそれほど高くなかったとしても、副作用が少ないのであれば、効果が得られるまで、どんどん薬の量を増やしていけばいいのです。標的それを狙う薬剤、多くは分子標的薬剤と呼ばれます、この二つが揃えば、恐ろしい病気であるがんも治療できるのです。

標的: ホルモンレセプター 薬剤: ホルモン剤(これも広い意味で分子標的薬剤です)
標的: HER2蛋白     薬剤: 抗HER2分子標的薬剤
こうしてペアで考えればがんの治療薬の理解はわかりやすくなります。乳がん治療の大きな柱であるこの二つのペア、その標的の両方を持たないことからトリプルネガティブ乳がん治療は難しいとされてきたのです。

現在もトリプルネガティブ乳がんでの標的探しが続いています。
ただいま標的と薬剤のペアが揃っていて、効果も証明済のものとして
標的: PD-(L)1   薬剤:免疫チェックポイント阻害剤
標的: BRCA遺伝子バリアント陽性のおけるPARP  薬剤:PARP阻害剤
という新たなペアが見つかったといっていいでしょう。もちろん保険収載されています。
特にいままで標的がないとされてきた、トリプルネガティブ乳がんにおいては重要な治療の選択肢を与えるものになった、ということなのです。
標的と、それを狙う薬剤のペアで構成されるがん治療は、効果が高く、副作用が軽い特徴があります。現在でも効果が完璧かつ、副作用が0の理想の薬はまだありません。それができればがんは根治可能になります。ただそれは大変難しい。たとえば外からやってきて、悪さをするウィルスであっても、それを狙う抗ウィルス剤には副作用があります。先にふれたとおり、がん細胞は紛れもない自分の細胞であり、外から来たものではありません。その行動パターンが正常範囲を逸脱しているだけです。異常な増殖、や、多臓器への転移がそれです。したがって異常な増殖をターゲットにしたとしても、正常な傷を治す働き、髪の毛の毛根細胞などにはダメージがあります。がん細胞が使っているシグナルや機能は、正常な細胞も使うことがあるからです。がん細胞における標的は、名札のような単純なものではありません。正常な細胞であれば”めったに”出すことはない、それがまれであればあるほど優秀な標的である、と言えます。ただかならず正常な細胞もその標的を持っているのです。
免疫チェックポイント阻害剤、PARP阻害剤も副作用はあります。ただ効果に比して軽いものであるか、頻度が低いことがわかっています。トリプルネガティブ乳がんの治療において大きな前進があった、そう言えると思います。
このことが陽性とわかった時のメリット、現在ではその最大のものでしょう。
ここまで読まれた方であればよければもう一度、下記の記事を読んでいただければより理解が深まると思います。(トリプルネガティブ乳がんと免疫チェックポイント阻害剤 その2

1.         Fujisawa F, Tamaki Y, Inoue T, Nakayama T, Yagi T, Kittaka N, Yoshinami T, Nishio M, Matsui S, Kusama H et al: Prevalence of BRCA1 and BRCA2 mutations in Japanese patients with triple-negative breast cancer: A single institute retrospective study. Mol Clin Oncol 2021, 14(5):96.

2.         Armstrong N, Ryder S, Forbes C, Ross J, Quek RG: A systematic review of the international prevalence of BRCA mutation in breast cancer. Clin Epidemiol 2019, 11:543-561.

3.         Emborgo TS, Saporito D, Muse KI, Barrera AMG, Litton JK, Lu KH, Arun BK: Prospective Evaluation of Universal BRCA Testing for Women With Triple-Negative Breast Cancer. JNCI Cancer Spectr 2020, 4(2):pkaa002.

2021.06.28

すでに乳がんに罹患した方が、遺伝子を検査することに意味はあるか? …その1

この記事は、「遺伝性のがんという概念」の記事を読まれた方を対象にしています。
また乳がんの診断がついておられる方であっても、今まさに術前で主治医の先生と治療の相談をされている方は対象としません。疑問があれば主治医と納得いくまで話し合うべきだからです。

「遺伝性のがんという概念」記事の最後に述べましたが、BRCA1、そしてBRCA2の遺伝子バリアント検査は、乳がんをすでに罹患された、遺伝性の乳がんの可能性の高い方に限り、保険適応が認められています。
そして患者さんにとって、自分はすでに乳がんに罹患したのに、その上乳がんの遺伝子バリアントを持っていることを調べることに意味はあるのか、は大変な疑問だと思います。

たとえどんな検査であっても、たとえそれが病気の治療であっても、われわれは希望されない方にそれを行うことはできません。まして保険が適応されていたとしても、保険を支払っている皆さんが希望もされない検査や治療を施行できません。そして保険が適応されたとしても、少なからず検査や治療には自己負担があります。したがって検査を提示するにはそれによってどんな利益があるのか、患者さんが納得しなければ誰も検査は受けません。

そこでこの記事では、遺伝子バリアント検査を受けることのメリットを中心に触れていきたいと考えます。
ちなみにだれでも思いつくメリットの一つに、温存切除を受けられた方であれば残された乳房、そして全摘をされていても対側の乳房の乳がんの発生リスクがわかる、というメリットがあります…①
ただこのメリットは患者さんはあまり魅力がないようです。というのも、最初の乳がん以降は定期的に乳がん専門医に通院しつつ、診察や検査、もちろん対側の検診も受けておられる方がほとんどだからです。ちなみにBRCA遺伝子バリアントを有する方では予防的に乳房を切除することが保険で認められています…②。これもメリットの一つになりますが、片方の治療を受けたばかりで、今のところは異常も認められていない状況で、すぐに対側の切除を希望する方は少ないでしょう。(この記事の対象ではありませんが、もし貴方が手術前であれば、そして乳房を温存するか、全摘するか、悩まれているとすれば、その決定に影響する可能性があります。もしBRCA遺伝子バリアントを有することが術前に判明していれば、思い切って全摘して、再建を視野に入れる、そうした考えを持たれる方もいるでしょう。)

遺伝子バリアント検査を受ける最大のメリット

BRCA遺伝子のバリアント検査を受ける際には、保険収載の際の決まり事として、検査の前に専門の資格を有する医師、あるいは認定看護師にカウンセリングを受ける必要があります。カウンセリングでは、検査の内容、かかる費用や日数、もし陽性と診断されればどうすればいいのか、陰性ならもう何も心配はないのか、など、多岐にわたって説明が行われます。場合によってはBRCA遺伝子以外のがん遺伝子のバリアントの可能性についても指摘され、専門医に紹介してくれることもあるでしょう。
私自身は、遺伝の専門知識をもつ医療従事者からカウンセリングを受けることができる…③、このことが最大のメリットである、と信じて疑いません。
今すぐ検査を受けようと思われない方であっても、もし陽性だったらいつかは困ったことが起こるかな、とちょっと不安に感じることがあるではないでしょうか。なにより、もし自分の身近な血縁者、ご姉妹や娘さん、姪御さんが乳がんと診断されたらどうしよう、やっぱり遺伝なのかな、と折に触れ、不安に感じておられるのではないでしょうか。なによりすでにそう思われて、「遺伝の検査なんて受けなくても、娘には毎年検診を受けるように口酸っぱく言っています」そういわれる方もおられます。でももしご自身がBRCA遺伝子バリアントを有していて、娘さんも同じようにBRCA遺伝子バリアントを有していたとしたら、娘さんの検診はどのようにするのが適切なのでしょうか。クーポンで2年に1回は検診を受けている?それで大丈夫でしょうか?
危険な山、エベレストを登るときと、そのあたりの山、増位山を登るときでは準備が全く異なるように、BRCA遺伝子バリアントを有する方では、乳がんの検診を始めるべき年齢も、回数も、そして内容もバリアントのない方とは異なります。そして乳がんの検診だけを考えていても不十分なのです。
「私は医者じゃないのだから、そんなことを言われてもわからない!」
もっともだと思います。それでも娘さんのことは心配なはずです。検査をしたほうが良ければ正しく検査を受けてほしいはずです。ですので、ご自身が専門の医療従事者のカウンセリングを受けられる際に、その娘さんと一緒に受診されればいいのです。一石二鳥です。
確かに娘さん(姪御さんやご姉妹に置き換えてもらって構いません)は乳がんになっていないので、カウンセリングだけであっても保険は適応されません。ただお母さんに付き添って話を聞く分には問題ありません。出て行け、とは言われません。もちろん質問しても無視される、なんてことはありません。
そうしておけば、いつか娘さんになにか困ったことがあった時、どこに相談すればいいのか、貴方がいなくてももう悩むことはなくなります。検査を受けたいと思ったらどこに相談すればいいのかも、もう悩みません。その意味からは、もう私は年だから、この先乳がんになろうが、どんながんになろうが構わない、そうおっしゃられるご高齢の方であっても、このメリットは共通です。今後、遺伝関係で困った時にどこに相談すればいいのか、ご自身もご家族も知識として得ることができる…④ このことはおそらくすべての方に共通のメリットになるはずです。そして実際には検査を受けなかったとしても得られるメリットです
その意味からはせめてカウンセリングだけは受けておきましょう。

BRCA遺伝子バリアント陰性と診断されたら

陰性と診断された際のメリットはわかりやすいと思います。
今後の検診は、今回の乳がんに関するものを除けば特別なものは必要ありません。今まで通りで問題ありません。今回の乳がんは偶然のなせる事故であって、遺伝からくる必然ではなかったのですから。
そして血縁者の方にとっても、同様に大きなメリットがあります。
現在たとえ健康な方が受けられるドックや健診であっても、家族歴の聴取は重要とされています。たとえば貴方が40歳で両側の同時乳がんに罹患されたとします。現在4親等の親族までは血縁者として家族歴聴取の対象ですので、従兄妹、姪御さんも検査や健診を受診されると、貴方の存在が注目されます。そして特に乳がん、卵巣がん、そして男性であっても前立腺がんなどについて、より若くから検診を始める、頻度を年1回から2回にするなど、厳重な検査と経過観察が勧められることになり得ます。おそらくそれは貴方が寿命を終えられたとしても終わりません。担当する医師としては、貴方の陰性が証明されていない限り、血縁者に関して、BRCA遺伝子バリアント陽性を念頭に置いてリスクマネージメントすることがほとんどだからです。
逆にもし陰性と診断されていたのなら、たとえば娘さんは「母親は40歳で両側乳がんに罹患しました。ただHBOCに関する検査は完了していて、陰性と診断されています」と表明することで過剰な検査を避けることができる可能性があります。それによって生じるコスト削減効果は将来にもわたるため、最終的に貴方が支払う遺伝子バリアント検査費用よりもいずれ大きくなるでしょう。
つまり陰性と確定していれば、貴方、そしてあなたの血縁者は、本来は不要である、より密度の高い検診を受けなくてもよくなる…⑤のです。これも貴方の年齢や、今まさにがんであるかどうかに関係しないメリットになるでしょう。

陽性と診断された場合、いままさにトリプルネガティブ乳がんと診断された方、のメリットは次回にさらに掘り下げたいと思います。