乳腺と向き合う日々に

2021.09.13

サラ・ハーディングさんの訃報

2021年9月6日 産経新聞電子版に サラ・ハーディングさんの訃報が掲載されました。39歳という若さでした。
記事よれば、「サラ・ハーディングさん(英国の女性ポップグループ「ガールズ・アラウド」の歌手)5日、乳がんのため死去、39歳。母親が写真共有アプリ、インスタグラムで明らかにした。
81年、ロンドン郊外アスコット生まれ。グループは02年に英テレビ番組で結成された。デビューシングル「サウンド・オブ・ザ・アンダーグラウンド」など複数の曲が全英シングルチャートで首位を飾るなど、英国を代表するポップグループとなった。いったん活動を休止、12年にデビュー10周年を記念し再結集したが、13年に解散した。英メディアによると、昨年夏に病気を公表。今年3月に発売した自伝で、胸のしこりに気付いたが、新型コロナウイルス流行で受診を先送りしてしまったと打ち明けていた。(共同)」とあります。

ご冥福をお祈りいたします。
ただ恐れていたことが起こっている、ということを改めて現実として知らされた感が否めません。

なんのことを言っているのか、と思われるかもしれません。

これもまた新聞からの記事ですが、9月1日付の日本経済新聞の記事になります。
昨年度の医療費は、コロナのこともあり、跳ね上がったのか、と思う方もおられるかもしれませんが、さにあらず、実は1.4兆円という過去に例のないほどの減少だった、という記事です。

医療費削減

日本経済新聞 9月1日付記事より 

この二つの記事を読み合わせると、私が書かなくても、皆さんも一つの推論にたどり着くでしょう。そうです。それが私の恐れていたことです。受診控えと呼ばれることです。

確かに2020年度の医療費は大幅に削減されています。
この記事は、慎重に受診控えと、医療費の減少の因果関係についてきちんと考察されています。(中身はきちんと新聞で読んでください。全文の引用は許されていません。)
幼稚園、学校が休みになれば、そこから引き起こされる集団感染(インフルエンザやはしかなど)は発生しにくくなり、特に小児科では医療費の大幅な改善が見込まれます。それでも子供の感染症や、高齢者の整形外科受診、これらの受診が減っただけにしては減少が大きすぎます。様々な分野で、受診を控える動きがあったことは十分推察されます。
とくに心配されるのは、症状がなく、本人が行こうと思わなければ行くことがない検診については、もっとも大きな影響があったはずです。今年はコロナがあったので、ということで人間ドックを毎年されている方でも受けなかった方は多いのではないでしょうか。もちろんドックは自費なので医療費には反映されません。
しかし症状があってから受診されれば、どんな病気でも余計に医療費がかかります。つまり今年度下がった医療費は、より利子をつけて大きくなって帰ってくる恐れがあるのではないか、ということなのです。

小児科に関しても、それでよかったと思わないご両親も多いはずです。学校に行かず、すべてリモートワークで授業ができる時代が来ているとしても、それをよしと思わず、学校に行くこと、友達と一緒に学ぶことに意味がある、と考えておられるご両親も多いでしょう。
医師からしても、学校に通うことでさらされるこうした様々な感染症は、将来社会で生活していく際に必要な免疫を獲得する機会であり、必要悪だと考えます。風疹のように年齢に応じて免疫を確保しておかなければならない感染症も存在します。たしかにすべてをワクチンで獲得する方法もあるでしょうが、それさえ学校で接種されなければ、子供全員に均等に機会があるとは思えません。子供さんは自分で判断できないので、ご両親の気持ちや都合で受けたり受けなかったりされるはずだからです。
もちろんワクチン接種は個人の自由です。ただワクチンの考え方は、集団免疫と言って、全員に一気に免疫が付加されれば、その感染症は地球上から消え去ります。天然痘がその一例です。(ちなみに天然痘ウィルスも研究目的で特定の施設がいまでも保管しています。国際機関がきちんと倫理規定を守らなければ何が起こるのか、恐ろしいことです。)
しかし一部であっても、その感染症が生き残っていれば、その過程で変異を起こし、再び感染力を得て、免疫を持っている方にまた感染が広がり始めます。そうなれば今までの努力は一気に吹き飛びます。ワクチンは有効なものを、全員が、一気に受けなければ有効性が落ちてしまうのです。今まさにコロナで起こっていることです。

そう書きましたが、ワクチンを受けない方を、まるで”非国民”かのように批判する動きがあることを、私は好しとは思っているのではありません。
新聞に関しても、医療費が少しでも削減されれば、私たちの子供たちの税金にかかわることなので、良いことです。受診控えが原因とばかり言えないことはすでに触れました。
ここではどんなことでも2面性がある、ということを考えてほしくて、示唆に富む2つの記事を紹介させていただきました。ご自身の今後の検診、そしてもし気になることがあるのに、コロナがあるからと受診を控えておられる方がおられましたら、これを考える機会にしていただければ幸いです。

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最近 ヨーロッパの臨床腫瘍学会(ESMO)から研究発表がありました。
「Two-month stop in mammographic screening significantly impacts on breast cancer stage at diagnosis and upfront treatment in the COVID era」
マンモグラフィ検診をCOVIDの影響で2か月間中止したところ、その後に発見された乳がん症例のステージ(早期、末期などの病期)に明らかに影響がありました」
この研究は、「2ヵ月間のマンモグラフィ検診中断後の2020年5~7月に乳がんと診断された177例(女性174例、男性3例)と、定期的に検診を実施していた2019年の同時期に乳がんと診断された223例(女性221例、男性2例)とを比較した」という内容になります。以下がその結果です。
「RESULTS : The 2-month stop in mammographic screening produced a significant decrease in in situ BC diagnosis (-10.4%) and an increase in node-positive (+11.2%) and stage III BC (+10.3%). A major impact was on the subgroup of patients with BC at high proliferation rates. Among these, the rate of node-positive BC increased by 18.5% and stage III by 11.4%. In the subgroup of patients with low proliferation rates, a 9.3% increase in stage III tumors was observed, although node-positive tumors remained stable. Despite screening interruption, procedures to establish a definitive diagnosis and treatment start were subsequently carried out without delay.」
これも日本語に訳します。
我々の研究結果から、マンモグラフィ検診を2か月間中止することにより、ステージ0の非浸潤性乳管がん(DCIS、超早期がんでほぼ100%近い治癒が望める)の患者さんは10.4%減少し、逆にリンパ節転移陽性症例は11.2%、そしてステージⅢ(進行がん症例)は10.3%増加しました。
特に増殖能が高い(進行速度が早い=MIB1(Ki67)の値が高値)乳がんでは大きな影響がありました。こうした群ではリンパ節転移は18.5%増加、ステージⅢは11.4%増加していました。増殖能が低い群ではステージⅢの割合は9.3%増加していたものの、リンパ節転移は増加は認めませんでした。

検診は中断されていましたが、確定診断までの確立した過程と、治療の開始は、今まで同様に遅滞なく行われていました。(筆者注:日本では、コロナによる病床圧迫で、がん患者さんの病院受診、入院までの待ち時間が増加し、治療開始に遅延が生じていると報道されています。)

わずか2か月の検診中断でこれが起こるのですから、日本のように検診受診率が低い場合には、さらに検診中断期間は長くなっている可能性があります。

2021.09.07

高濃度乳腺の乳がんリスクについて

高濃度乳腺とは ーAre You Dense?ー のブログで、乳腺には個人差があり、その濃度に差があることを解説しました。
乳腺痛 ~痛いのが気になって来ました~ のブログでは、乳腺痛について触れていますが、閉経前後の年齢で、高濃度の乳腺の方では、非周期性の乳房痛を訴える方が多く、濃度と乳腺痛には関連があることが知られています。

高濃度乳腺は、授乳経験が少ない女性に見られる傾向があります。”子供を産んでおられない女性に乳がんのリスクは高い”ことは一般の方もご存じの方は多いかと思います。こうした観点からも、高濃度乳腺は乳がんリスクは高いのではないか、は気になるところです。
ただ若年者では授乳経験はなくて当たり前であり、高濃度乳腺が普通の状態です。どれくらいの年齢で、そして高濃度乳腺であったなら、どれくらい乳がんリスクが上昇するのか、その具体的なことがわからないとただただ怖いだけです。
最近これに関して詳しい発表があったのでまとめてみたいと思います。

参考: Dense Breasts Linked to Increased Risk of Invasive Cancer in Older Women— Breast density, life expectancy could be factored into considerations for continued screening
by Mike Bassett, Staff Writer, MedPage Today August 27, 2021

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高濃度乳腺はどれくらいリスクがあるのか?

高濃度乳腺ついて、濃度の高い乳腺は、同じように検診を受けても小さな病変の発見が難しいことだけではなく、もともと乳がんが発生しやすくリスクが高いという話をしてきました。

ただ子供さんを生んでおられない若い方の乳腺の濃度が高いことは当たり前なので、同じように高濃度乳腺であっても、高齢であってなおかつ高濃度であることが乳がんリスクを高めることも理解できます。実際 65歳以上の女性が濃度の高い乳腺である時、リスクが高いことが以前から指摘されています。

BMI、つまり肥満の程度によっても乳腺の濃度は影響されます。痩せていれば濃度が高いことが多いからです。一方で肥満は乳がんのリスクを上昇させます。肥満すれば乳腺濃度は落ちやすい、しかし肥満で乳がんリスクは上がる。乳腺濃度と乳がんリスクの関係性を考える際に、肥満の要素を加味して考えないといけません。

BMIの値にかかわらず、高濃度~不均一高濃度乳腺の方は散在性乳腺の方と比較した場合、65歳から74歳では1.39倍(HR 1.39(ハザードと言ってリスクはどれくらい上昇するかを示します, 95%信頼区間(95%の確率でこの範囲内に正解があるという意味になります) 1.28-1.50)、そして75歳以上では1.23倍(HR 1.23, 95%CI 1.10-1.37)です。

(reported Dejana Braithwaite, PhD, MSc, of the University of Florida Health Cancer Center in Gainesville, and colleagues)

(ここからは米国の話になりますが)

米国では75歳の女性はさらに平均12-14年の余命が見込まれます。こうした方に対して、乳がん検診を受けるかどうか、その適応を考えるにあたっても、生涯わたる乳腺濃度の乳がんリスクに与える影響を考えるに際しても、75歳以上の高齢女性のリスクを検討することには意味がある、と考えられます。

乳がんリスクは年齢とともに上昇を続け(これも米国ではそうですが、日本ではピークは閉経前後にあり、その後は減少します)、乳腺濃度と乳がんリスクの関連性も示唆されています。健康な75歳以上の女性に対しても、マンモグラフィー検診の機会を設けることで、乳がんによるリスクを減らすことは可能です。

ただこうした年齢の女性に対する研究そのものが不足しています。なにより肥満度を考慮しての検討がなされてきませんでした。

さて本題

米国Breast Cancer Surveillance Consortiumのデータから、1996年から2012年までにマンモグラフィ検診を受けた65歳以上の女性を解析しました。
総人数221.714名の女性を解析し、うち193.787名 38%が75歳以上でした。
大部分は65歳から74歳(64.6%)であり、白人(81.4%)でした。
(64.6+38>100なんですがその理由はわかりませんでした。筆者:注)
乳腺濃度はBIRADS(米国の放射線科医による分類基準)によって、脂肪性、乳房散在、不均一高濃度、極めて高濃度、と4段階に分けました。
65歳から74歳までの女性では、16.5%が脂肪性、51.4%が散在性、32.1%が不均一高濃度から極めて高濃度に分類されました。75歳以上ではそれぞれ17.5%、52.0%、30.5%でした。
(下の表を参考にしてください。高齢であっても、また時々患者さんが口にされますが、”垂れて”いても、濃度は低いとは限らないことがわかります。日本人のほうが実際は米国の方より濃度は高いことが予想されるので、頻度はこれより高い可能性があります。筆者:注)
乳腺濃度の頻度 脂肪性乳腺 散在性乳腺 不均一高濃度から
極めて乳腺
65歳から74歳 16.5% 51.4% 32.1%
75歳以上 17.5% 52.0% 30.5%
これらの女性を平均6.3年経過観察し、5,069名の方が乳がんを罹患しています。
65歳から74歳の女性では乳腺濃度に比例して、浸潤性乳がんの発生頻度が上昇しています。
今後5年間でどれくらいの比率で乳がんが発生するかについて
脂肪性乳腺 11.3名(1000名あたり) (95% CI 10.4-12.5)
散在性乳腺 17.2名(1000名あたり) (95% CI 16.1-17.9) 
不均一から極めて高濃度乳腺 23.7名(1000名あたり)(95% CI 22.4-25.3) 
同じことは75歳以上の女性でも言えています。
脂肪性乳腺 13.5名(1000名あたり) (95% CI 11.6-15.5)
散在性乳腺 18.4名(1000名あたり) (95% CI 17.0-19.5) 
不均一から極めて高濃度乳腺 22.5名(1000名あたり)(95% CI 20.2-24.2)
(下の表を参照してください。年齢に関係なく、濃度に伴って乳がんリスクが上昇することがわかります。筆者注)

今後5年間で1000人当たり
何人の方が乳がんに罹患すると
予想されるか 
65歳から74歳までの女性

今後5年間で1000人当たり
何人の方が乳がんに罹患すると
予想されるか
75歳以上の女性

脂肪性乳腺 11.3名 13.5名
散在性乳腺 17.2名 18.4名

不均一高濃度から
高濃度乳腺

23.7名 22.5名
65歳から74歳の女性でほぼ脂肪性の乳腺の方は、散在性の乳腺の方と比較して、たとえその方の肥満度を考慮したとしても(つまり肥満しているから脂肪性乳腺になっているという場合を考え併せても、という意味です)浸潤性乳がんのリスクが低下していました。(肥満しておられる群同士で比較しても0.71とリスクは下がっており、肥満しておられない方同士比較しても0.53とリスクは脂肪性乳腺で下がっていました。)
75歳以上の女性でもこれは同様に認められました。(肥満しておられる群同士で比較しても0.70とリスクは下がっており、肥満しておられない方同士比較しても0.82とリスクは脂肪性乳腺で下がっていました。)
肥満している方は脂肪性乳腺なのか、については65歳から74歳の方も、75歳以上の方も、そんな傾向は認めませんでした(つまり肥満していても、高濃度乳腺であることはあり得るし、痩せていても脂肪性乳腺はあり得ます。筆者注)
乳腺濃度と乳がんリスクは正の相関を示す。それは65歳から74歳、そしてそれ以上の女性でも同様に認められました。
これらのことからわかることをまとめます。
高齢の女性であっても、今後の人生において、マンモグラフィ検診を続けていくメリットデメリットについて、乳腺濃度が与える影響を検討しながら、考えていかないといけない。
マンモグラフィ検診をいつ辞めるべきかはこうした個人個人の事情を基に決めるべきであり、一律には論じられない。

ここからは私の注釈です
この論文の筆者は、これらのデータをもとに、75歳以上の女性に関しても、マンモグラフィ乳がん検診の必要性について考えよう、と締めくくっています。ただ少なくとも、ご自身の乳腺濃度をご存じない方がおられたら、それを尋ねるためにも検診を一度は受けておいた方がいいのは確実ではないでしょうか。
たしかにその方の人生観もあることになりますので、一概に全員マンモグラフィ検診を受けるべきとは言えません。ただ脂肪性、散在性乳腺では実は触診も容易なため(乳腺が全体に柔らかいので、硬い腫瘤を自分で触っても見つけやすい)、乳がんリスクは低く、自己触診で見つけることも比較的容易、なのです。
不均一高濃度から高濃度乳腺の方はそれが逆になります。

高齢であっても、乳腺濃度の高い方は、乳がん罹患のリスクが高く、くわえて自分で触るのでは乳がんのしこりを見つけにくい。

やはり検診の継続が勧められるのは、まさにそういう方ではないでしょうか。

2021.08.31

番外編 ホルモン補充療法と乳がんについて

更年期障害は、女性にとって大きな問題になることがあり、生活に支障をきたしたり、質を落としてしまうこともあります。更年期が女性ホルモンの減少を原因とするのなら、補充してしまえばいい、単純に言えばそうなります。主に婦人科において行われるのですが、経口飲み薬、最近ではシップのような貼り薬もあります、注射もあります、こうして何らかの女性に関するホルモンを補充する治療一般をホルモン補充療法と呼んでいます。
更年期障害の治療に対して行われるだけでなく、たとえば生理痛、子宮内膜症に対する治療、骨粗鬆の予防、避妊目的に行われるホルモン補充療法もあります。治療の目的は異なったとしても、女性ホルモン、エストロゲンの補充を目的に行われる治療は原則ホルモン補充療法です。エストロゲン単独で投与すると、子宮内膜が刺激され、子宮体がんのリスクが上昇します。そのため黄体ホルモンであるプロゲステロンを並行して投与し、定期的に生理を起こさせて、閉経前に類似した状態を作り出す、そうして更年期をはじめとする状態を脱出させることを狙って治療することが通常です。

さて、乳がんの治療で、ホルモン剤を使用することがあります。エストロゲンを抑制する薬です。乳がんで使うのはしたがってホルモン補充とは反対の働きをする薬を使います。
そこで、ホルモン補充療法を行うと、乳がんのリスクが上がるのではないか、あるいは乳がんが再発しやすくなるのではないか、という考えが出てきます。
これに対する回答を、ここで最初に簡潔に言い切ってしまいます。例外もありますが、ここでは原則を先に示すことで後の解説をわかりやすくする目的です。
・乳がんにすでに罹患している方ではホルモン補充は禁忌です。
・乳がんの家族歴が濃厚で、乳がんの遺伝的な傾向がある方も禁忌です。

これらを除く方にホルモン補充療法を行った際の乳がん発生リスクについて
・エストロゲンの単独補充では、乳がんのリスクはほとんど上がりません。(しかし子宮体がんのリスクが上昇します)
・エストロゲンとプロゲステロンの併用補充療法では、乳がんの発生リスクが使用期間に比例して上昇していきます。

”禁忌”は、ダメということなので悩みませんよね。
ここで注意してほしいのは、”ほとんど上がらない”というのはどれくらい上がるのか、”上昇する”というのはどれくらい上昇するのか、それを明らかにする必要があるのです。
100円は1円に比べればべらぼうに”高い”ですが、10,000円に比べれば”安い”です。”わずかに上昇する” とか ”増加します” という言葉だけではなく、実際具体的にどれくらい上昇するのか、を示さなければ意味がないのです。

Vinogradova Y, Coupland C, Hippisley-Cox J. Use of hormone replacement therapy and risk of breast cancer: nested case-control studies using the QResearch and CPRD databases. BMJ. 2020:m3873.

このデータはイギリスから昨年発表された論文から引用しています。
50歳から79歳、1998年から2018年、合計で98,611名の女性とさらに457,498名の女性からデータを回収して検討した巨大な研究で、その意味からは大変信頼性は高いと考えられます。
データの見方ですが、ホルモン補充療法を受けていない方に乳がんが発生するリスクを1として、ホルモン補充療法を受けるとどれくらい上昇するか、を示しています。
例えば1番下に書かれているTiboloneですが、これはエストロゲンとプロゲステロンの併用に類すると思ってください。(日本ではまったく同名の薬剤は使用されていないようです。)0.4と書いているのは平均0.4年飲用(1年以内)されていた、ということです。リスクは0.95なのでむしろ発生率は低いくらいです。そのあとのカッコの中、0.87 to 1.03はこのリスクは95%の確率で0.87から1.03までに収まる、という意味になります。つまり最悪、1.03倍のリスクの可能性がある、ということです。5年を超えると、リスクは1.33となっています。つまり補充療法を受けておられない方の1.3倍乳がんに罹患する可能性があります。あれ、思ったほど高くないんだ、と感じた方もおられると思います。

注目なのは Oestrogen(=エストロゲンです)のところです。
3-4年でわずかに上昇しているものの、10年以上継続しても、基本 乳がんリスクは上昇していません。エストロゲン単独補充では恐れていたほどリスク上昇はないようです。ただそれでも10年越えではデータは1.17、95%信頼区間でみても、最低で1.08と、1を超えているので、”わずかに”リスクが上昇することは明らかなようです。
ですので、その数値と、自分の更年期を含めた症状の辛さを天秤にかけて決めていけばいい、ということになります。

まとめるならば、ホルモン補充療法では、1年以内であれば、ほぼ乳がんリスクの上昇は見られないので、それによる更年期症状の改善のメリットと、乳がんリスクの上昇を天秤にかけて、継続するかどうかを決めていけばいい、となるでしょう。
ただしそれは乳がんリスクだけであることにご注意ください。薬剤によっては心臓、血管系にリスクを持っていたり、先に述べた子宮体がんリスクを上昇させます。ここでは省略しますが、それらもすべて考えあわせて治療を決めていく必要があります。

先のデータからだと、エストロゲン単独でのホルモン補充療法は乳がんリスクは上昇しにくい、しかしもともとこの論文は50歳以上を対象としており、閉経前の方はもともとご自身の体の中でプロゲステロンが供給されています。つまりエストロゲン単独投与でも、単独にはなりません。そして閉経後であっても単独での使い方は子宮体がんリスクを上昇させてしまうことを忘れてはいけません。ですので婦人科は子宮のある方ではプロゲステロンの併用を標準としているのです。(これを併用し、中止すれば消退出血が起こります。つまり生理が来ます。子宮内膜に発生するがんである子宮体がんはこれによってリスクを大幅に下げることが可能になります)。生理的な状況を作り出すことがホルモン補充であり、閉経後もそれを作り出そうとすればやはり乳がんリスクは上昇するとも言えます。ただわずかな期間であれば(長くても5年)、3-5割増し程度にリスクは収まり、先のデータでは示しませんでしたが、中止したのちは速やかにリスクは下がるようです。

また乳がんにすでに罹患している方、遺伝的な要素があり、乳がんのリスクが一般の方より高い方は、もともと今回の検討には含まれていません。先述したとおり、ホルモン補充療法は禁忌とされています。

心臓・血管系、高血圧の合併症は循環器内科、子宮体がんや内膜症は婦人科、乳がんは乳腺外科、と発生する副作用が様々な診療科にまたがるため、婦人科で処方された薬剤であっても、副作用のカバーは婦人科だけでは難しい場合があります。それを考えに入れて、それぞれの副作用のケアをしながらホルモン補充療法を安心して受けていく、その必要があるといえるでしょう。

2021.08.23

ホルモン剤を飲んで、治療するということを、もう一度考える。第2回

女性ホルモンの働きをブロックすることで、乳がん細胞の分裂を抑制する、あるいは止める。
この考え方に間違いはありません。乳がん細胞の中には女性ホルモンに”依存”しているものがおり、女性ホルモンが枯渇すると増殖を止めてしまうものがいます。乳がん患者さんのほぼ6割以上がそうであるとされており、実際に女性ホルモンを抑えるための薬を飲んでおられる乳がん患者さんもおられます。

注射で行われる薬を除けば、その薬は大きく二つに分類されます。
SERMと呼ばれるタモキシフェンと、アロマターゼ阻害剤と呼ばれるアリミデックス、アロマシン、フェマーラ(この3種類のうちどれかを飲まれていると思います)です。
ここでSERMですが、初めて聞かれた方も多いでしょう。”選択的エストロゲン受容体調整薬”の略語です。SERMでネット検索をすると、しかしタモキシフェンもヒットしますが、同時に骨粗鬆の治療薬がヒットします。このことで分かるようにエストロゲンは骨に関係が深く、エストロゲンの働きを抑えれば骨はもろくなり、刺激することで骨は丈夫になります。(ここではきわめて簡単に言ってしまっていますが、その機構はもっと複雑です。)ここで矛盾に気が付かれた方も多いはずです。タモキシフェンは女性ホルモンの働きをブロックするはずですが、骨に対しては女性ホルモンのようにふるまうのです。したがってむしろ骨は丈夫になる働きをします。

ではアロマターゼ阻害剤では骨は丈夫になるでしょうか?
いえ、アロマターゼ阻害剤では骨はもろくなり、骨粗鬆が進みます。
なぜそのような違いが生じるのでしょうか?

エストロゲンブロック

上の絵を見てください。
女性ホルモンをカギに、そしてそのホルモンの信号を受け取る”レセプターを鍵穴に例えました。
女性ホルモンは共通ですが、鍵穴のほうが骨、子宮のものと、乳腺のものでは微妙に異なっているのです。女性ホルモンは両方を開けることができます。鍵が開くと、刺激がそれぞれの臓器を構成する細胞に入り、増殖が始まります。
SERMの中でタモキシフェンは大変特殊な働きをします。女性ホルモンに似ていますが、微妙に異なる鍵であるため、骨や子宮の錠前は開けることができるのですが、乳腺の錠前には刺さったきり、開けることができません。この刺さるけれども開かないところがミソなのです。
本当の女性ホルモン(鍵)がやってきても、タモキシフェンが鍵穴を塞いでいるので、乳腺の錠は開かないのです。タモキシフェンは女性ホルモンの1000倍以上の強さをもって乳腺の鍵穴に引っ付いてしまって、これを女性ホルモンからブロックしてしまうのです。

ではアロマターゼ阻害剤はどうなのでしょうか。

Aiのブロック

上の絵を参考にしながら読んでください。

女性ホルモン、この場合エストロゲン、は主に卵巣で作られます。若い女性(閉経前女性)では、この卵巣で作られるエストロゲンの働きによって、性徴がおこり、女性として体がつくられ、排卵し、妊娠し、子供を授かることができるようになります。
閉経後は、この卵巣からのエストロゲンの供給がほぼなくなりますが、それによって女性ホルモンが0になってしまうのか、と言えばそうではありません。副腎という腎臓の上のところに存在している小さな臓器が男性ホルモンをつくっており、それが脂肪細胞によって女性ホルモンに変換されます。これによってわずかですが、エストロゲンが体には供給されているのです。もちろんこれは男性にも起こりますので、男性にも女性ホルモンは流れています。量がわずかなだけ、はるかに男性ホルモンが多いだけです。
脂肪細胞に存在し、男性ホルモンから女性ホルモンを作り出す物質がアロマターゼであり、これをアロマターゼ阻害剤はブロックするのです。
これによって閉経後にわずかに供給されていた最後の命脈を絶たれたエストロゲンは、体の中で文字通り”枯渇”します。タモキシフェンとはレベルの違う女性ホルモンの抑制が起こるのです。骨も、子宮も、乳腺も、すべてブロックされます。

ただ注意が必要なのは、アロマターゼ阻害剤は、脂肪細胞におけるアロマターゼの働きを阻害しますが、卵巣は抑制しません。そのため、閉経していない、つまり卵巣が働いていれば、全く効果がありません。
逆にタモキシフェンは女性ホルモンが卵巣から供給されようが、脂肪細胞から供給されようが、そもそも鍵穴自体がふさがっているので、ブロックできるのです。
したがってアロマターゼ阻害剤は閉経後、それも間違いなく閉経していることが条件となります。
そしてタモキシフェンは閉経前であっても、閉経後であっても、効果はあるのです。

なるほど、たしかに閉経前がタモキシフェン、閉経後がアロマターゼ阻害剤、という風に単純にいかないことはわかった。でも、それだと逆にタモキシフェン一択でいいのではないか?
なぜ閉経後はアロマターゼ阻害剤を使われることが多いのか?

それを次回に触れていきましょう。

2021.08.23

乳腺痛 ~痛いのが気になって来ました~

まず乳腺の検診を受けてください。
検査を受けて異常なしとされました、話はそれからです。 

「乳がんではありませんでした。」
「ではなぜ乳腺が痛いのですか?」
外来診療をしていてよくあるやり取りです。たしかに痛いのが気になって受診したのに、乳がんではありません、では答えになっていませんよね。
まず誤解があり、乳がんは基本的に痛みはありません。痛みがないというよりも、自覚症状としていきなり痛みは出てこないということです。進行すれば痛みは出てきますが、少なくとも検診を受けて見つからないような、1㎝以下の早期乳がんが痛むことはまずありません。もし乳がんが早期から痛みがあってくれれば、進行するまでには耐えられなくなって受診してくださるでしょうから、手遅れになることがありません。したがって検診がいらなくなります。乳がんは痛まないのです。
10人に1人が乳がんに罹患する時代なので、皆さんの周囲に乳がんになられて、元気になった後も、乳腺を痛がっておられる方をご存じかもしれません。ただ乳がんは手術されるまで痛くなかったはずです。尋ねてみてください。

 「私の乳腺のしこりは痛む、だから乳がんじゃないよね。」
これも間違いです。乳腺痛と乳がんの関係は深いのです。乳がんそのものは痛まない。でも痛みがあるような乳腺に乳がんはできやすい、のです。いやらしいですね。だから最初に言いました。まず検診を受けて乳がんはない、でも乳腺が痛む、なぜだ、です。

一般に、乳房痛は、出現時期と月経の有無などから ①周期性乳房痛、②非周期性乳房痛、に分類されます。

周期性乳房痛

月経黄体期から出現し、月経開始まで持続ないしは増強するのが特徴で、持続期間は7日以上、痛みの程度は中等度以上で睡眠障害(10)や通勤や通学などの社会生活への影響(613)、不快感・苦痛感(36)、性生活への影響(48)などを伴います。また、月経前緊張症の一症状として出現しますが、その頻度は低くて、16%前後とされています。内分泌変化によるものが主な原因とされています.

病的な現象としての周期性乳房痛は、乳癌の発症・増殖、発育に関する危険因子の1つで、乳癌リスクの有意な増加が認められています。

非周期性乳房痛

月経周期と関係なく出現する痛みで、周期性乳房痛よりもまれです。閉経前よりも、閉経後に多く出現します。痛みの性状は、局所性から乳房全体に及ぶようなものまで多彩です。後述するような外傷、炎症などのはっきりした原因があれば別ですが、はっきりとした乳房痛の原因を特定することは困難です。しかしさまざまな研究から、非周期性乳房痛もホルモン変化か原因と考えられています。

非周期性乳房痛には、たとえば糖尿病性乳腺症といって、血糖値の持続する異常によって引き起こされる乳腺の炎症のこともあります。また、乳汁を運ぶ管である乳管が拡張し、中に浸出液をため込んでいる、のう胞と呼ばれる袋が感染をきっかけに痛むこともあります。たとえば帯状疱疹と呼ばれるウィルスによるものや、その関係で肋間神経痛として存在する乳腺痛もあります。こうした乳腺痛であれは、受診によってほとんど診断がつきます。

こうしたなんらかの疾患が存在しないのに、片側性、局所的で持続する乳房痛は、ホルモン変化との関与が示唆されていることはすでに述べました。ホルモンのバランスが悪くなってくる閉経前後に発生する非周期性の乳房痛は、乳癌の発生との関連性が認められています

非周期性乳房痛がある方で、乳がんである確率は高いものではありません。それだけでがんとは言えません。逆に、乳がんの方に非周期性乳房痛を伴う頻度はある程度分かっていて27%前後とされています。つまり乳がんそのものが痛くなくても、乳がんの方の20人に1人くらいは乳腺に痛みがあるということです。これは高いですよね。注意を要します。

視・触診と画像検査などから炎症を含む乳房の器質的疾患が否定されたならば、頑固な乳房痛についてはホルモンを中心とした検査が必要となります。
たとえば感染を伴う乳腺炎、糖尿病性乳腺症、帯状疱疹など、疾患が関与していればその治療が先に必要です。
こうした疾患が否定され、それでもなお引き続く乳腺痛に対して、ホルモンバランスの調整を目指した治療がなされることがありますが、こうした治療に用いられるホルモン剤などは、いずれも副作用があるので、産婦人科医との連携治療が必要となります。

ここまでの説明で、乳腺痛と乳がんには関係性がある、というところは理解していただいた、と思います。しかし、なぜ痛むのか、についてまだ話をしていませんよね。


たとえば生理痛として重い下腹部痛に悩んでいる方がおられます。ひどい時には婦人科で低用量ピルを処方されて、飲用しておられる方もいるでしょう。ホルモンを調整することで痛みは改善する、ということはホルモンのバランスを崩すことで生理痛が出現し、調整できれば痛みは消える、ということになります。
その際不思議と、子宮がんではないか、とは心配されないようです。
でも乳腺が生理の時に痛むと、乳がんを心配される方がいます。
同じように痛みが出ても、なぜ子宮と乳腺で、心配する、しないが異なるのでしょうか。

子宮は生理の時には出血します。壊して作り直している、だから痛むことがあるだろう、そう理解されているのではないでしょうか。でも生理の時に壊して作り直されているのは実は子宮だけありません。子宮内膜ほどではありませんが、乳腺もダイナミックに修繕されています。そうしなければならない理由があるのです。
皆さんは使わない臓器はだめになることをご存じですか。たとえば大切な眼、視力がなくなれば大変です。でもたとえば健康な眼であっても3年間眼帯で覆ってしまえば、3年後、眼帯を外しても元のようには見えません。白内障になった眼を放置していれば、手術をしてレンズを入れ替えても、神経が痛んで弱視になってしまい、元には戻らないのです。
でも乳腺や子宮はどうでしょうか。1人目の子供を授かり、その後10年間事情があって妊娠しなくても、10年後に機会があればちゃんと妊娠し、授乳できます。使わないでいればだめになる、そうならないのです。たとえ使われていなくても、毎月周期的に更新されているから、に他なりません。
ただそれは体にとって大きな負担です。痛みを伴うことなのです。
子宮では使われなかった子宮内膜は出血とともに排出されます。乳腺では古くなった組織はアポトーシスと言って自ら壊れ、再利用のために体に吸収されます。その際にはたくさんの老廃物が産生されます。それはリンパを中心とする様々な体の下水道を通って排出され、吸収され、再利用されます。そしてまたいつでも利用できるよう再生されるのです。
逆に授乳の際を考えましょう。その際には基本乳腺は破壊と再生を行う必要があまりありません。栄養をミルクに変えて分泌する、本来の働きをただ継続していればいいからです。組織にかかる負担は破壊と再生よりも軽いことが想像できます。

周期性に起こる乳腺痛はしたがって子宮の生理痛に相当するものです。非周期性に起こる乳腺痛も、ただ不規則になった、あるいは生理にまで至らなくなったホルモンのバランスの崩れによって起こるものなので、原則それに類するものだ、と考えられます。規則正しいホルモン周期によって、規則正しく破壊再生を行っている乳腺と異なり、バランスの悪くなった状態で破壊再生が行われているとしたら、乳がんが発生する危険性と関与することも理解しやすいのではないでしょうか。したがって非周期性の乳腺痛がある方では、定期的な乳がん検診がより強く勧められます。

まとめます。
・ホルモンのバランスが崩れれば子宮の生理痛と同様に、乳腺に痛みが出ることがある。
・ホルモンバランスが崩れが関与するので
、乳腺痛と乳がんの関与はあり得る。
・ただ乳がんそのものが痛みを初発症状とすることはめったにない。
・乳腺痛、特に生理と関係なく非周期性に発生する乳腺痛があれば、定期的に乳がん検診を受けることがより勧められる。

・痛いから検診を受ける、痛いからがんではない、は両方とも正しくない。

2021.08.17

ホルモン剤を飲んで、治療するということを、もう一度考える。第1回

抗がん剤にせよ、分子標的薬剤にせよ、もちろんがん治療を目的に作られていますが、製薬会社にとってはそれ以上に重要な目的があります。こうした薬剤の開発費は膨大なものとなっており、その回収をしなければ、社員の給料どころか、会社の存続すら危うくなります。投資した分は回収し、さらに次の薬剤の開発費も稼がなければやっていけません。効果は大きく見せたいですし、副作用は小さく見せたい。その上で現在使用されている標準治療の薬剤を“有意に”上回る成績であれば、最上級の成果になるでしょう。

同じことは、研究発表でも言えます。たとえば新規の治療法を考え付いたとしても、自分の研究対象が、既存の治療法とわずかであっても“有意な”差を示さなければ論文にはなりません。それが既存の治療法より優れており、そしてその差が大きく、さらに“有意な”ものであれば論文が採用され、研究者の業績になり、履歴書に書くことができ、将来の給料につながります。

 

有意な”というのは統計学的に意味がある、ということになります。

サイコロゲームを考えましょう。1-3の目が出ればあなたの勝ち、46が出れば私の勝ちです。お気づきですが、このゲームは繰り返せば繰り返すほど、回数を増やせば引き分けになります。ですので、最初の3回連続で貴方が勝った、としても、だから貴方はこのゲームにおいて私よりも強い、と結論付けるのは間違いです。

ただ回数を何回くらいまで増やしたら大体引き分けになってくるか、それが問題です。1回だと絶対に引き分けはありませんよね。最低6回は必要そうです。

このサイコロを100の目のサイコロとします。たとえば1が出れば貴方が勝ち、2から100までなら私が勝ち、その勝負をする人はいません。1から49なら貴方、50から100なら私、これも実は私が勝ちですが、その差がわずかしかないので、おそらく6回勝負したくらいでは結論は出にくい。貴方と私の勝率がきちんと4951になるのには相当な数の勝負をしないといけないと思います。

 逆にわずかな差しかなくても、それに対応するだけの千回、一万回、十万回と多くの回数の勝負をしたら、その差は統計的に“有意な”ものだ、と結論付けることが可能になります。

 ながなが話をしてきましたが、こうして証明された“有意に”優れた治療法が、論文になっていたとしても、それはたしかに優れているかもしれないが、実際にその治療法を受けられる患者さんにとって意味があることなのかはしっかり見定めないといけない、ということです。

「え、どんなに小さな差であっても、わずかで優れている治療法がいいんじゃないの?」
そう思われる方もおられるでしょう。たしかに、学問として考えればそうです。優れているのには理由があります。その理由を研究することでさらにその差を大きくして行ける可能性が出てくるかもしれません。最終的にとてつもなく大きな差となり、それが標準治療になるかもしれません。

 

ただわずかに治療成績が優れているから、それが第一選択の治療法、つまり標準治療になり得るのか、を考えたいのです。
たとえば1000人の生徒を抱える塾がABと二つあります。Aの塾では499人が東大に受かります。Bでは500人です。わずかな差ですが、10000年間の平均の成績から明らかにBの塾のほうが優れていることがわかっています。
しかしAの塾は毎月1万円、Bの塾は100万円の授業料がかかります。皆さんは子供をどちらの塾に入れますか?

 そういうことです。たくさんの患者さんを集めて研究すれば、わずかな差であっても優劣を統計学的に証明することができます。Bの塾はその結果を踏まえてAの塾を研究するでしょう。ABの欠点を研究するかもしれない。それはそれで意味はあります。しかし実際に子供を塾に通わせる親にとっては、その程度の微小な差で、それだけの費用を負担させられるのは受け入れられません。

 最初の薬の話に戻ります。

新薬が開発されたとして、その巨額の開発費を製薬会社は何としても回収したい。そのためには標準治療に何としても勝ちたい、その可能性も高そうです。しかし標準治療の歴戦の勝者、それほどの差は望めません。

そこで10000人の患者さんを集めて臨床試験を行い、標準治療では4999、新規薬剤では5000の人が治りました。(実際はこの程度の数で、この程度の差では、統計学的に有意差は証明できません)統計的にも新規薬剤が優れていることが証明されたとしましょう。

製薬会社は堂々とこの薬剤を売り出します。

 こうして出てきたお薬は“いままでの標準治療よりも優れていることが証明されています”と打ち出し、販売されるでしょう。当然開発費が上乗せされ、特許が乗り、大変高額なものとなるはずです。宣伝費も含まれます。一方で標準治療はすでに特許が切れ、ジェネリックに置き換わっており、安価になっています。 

皆さんがどちらかを選ぶことはないでしょう。医師が選びます。

さあどちらの治療法で治療するのが正解でしょうか?

保険で払うから、自分の負担は一緒?

それも正解ですね。ただ論点がずれるだけではなく、問題がマスクされる分、そういう考え方はいずれ破綻していきます。

副作用はどちらが強いのですか?

その考え方は正解です。それなしで決められませんよね。
治療法を選択するにあたっては、したがって優劣がある場合、優を第一選択にしつつもそれがどれくらいの差なのか、は把握しておく必要があります。そのうえでコスト、副作用はもちろん、通院の手間や、経口薬であり簡単に家で治療できるのか、長時間かけて病院で点滴しなければならないのか、も考える必要があります。

これは大変難しい作業です。加えてその患者さんの事情によって、個別に考えていかないと、結論が出ないことでもあります。そのために主治医が必要であり、コンピュータで治療法を決められない理由にもなるでしょう。

ホルモンレセプター陽性HER2陰性 転移再発乳がんの方への情報

私がたびたび引用している米国臨床腫瘍学会(以下 ASCO)ですが、今年の学会が終了してほぼ2か月経過した今の時期、その学会で発表された大きなデータをもとに、彼らが推奨する標準治療の刷新を発表します。
標準治療とは、日本の”標準”という意味合いと少し異なっていて、”王道”というほうが近いかもしれません。がんの治療は命がかかっていますので、松竹梅で決められてはかないません。最善は一つ、よって王道も一つ、それが標準治療です。(ただし現状、どちらが優れているか決められない時は2-3つの選択肢が提示されていることもあります)

ASCOが標準治療として定めるガイドラインが改定される、その際にはかれらはその新しい項目をピックアップして発表します。変更のないところはあえてもう一度発表しなおす必要はありません。なのでその発表を読めば、今年どんな新しい治療が開発されたのか、そしてその治療はいままでの王道とされてきた治療を塗り替えるものだったのか、あるいは今までにない新しいバイオマーカー(指標となる検査結果、それによって最善の治療方法が変化する)が出てきているのか、一気にまとめて知ることができるのです。(なんて便利なのでしょう。)

先日も”FACEBOOK”にてASCOから発表がありました。
ちなみに乳がんだけではありません。様々な臓器のがん、大腸がんや膵がん、様々に進行したがん、早期がんや、進行がん、転移性のがんなど、それぞれについて今年の最新のデータを基にしたガイドラインの改定が、別々にまとめられ発表されていきます。さまざまな先生方が集まって、今年の新しい発表に他の学会の発表や論文も加えて、話し合いを重ね、できるだけシンプルに整理して発表されていく、そんな感じです。(ああ、本当になんて便利なのでしょう。)

スペース
今回は、ホルモンレセプター(HRと以降は略します)陽性 HER2陰性 転移再発乳癌について、の発表を紹介したいと思います。そこで提示された、今後 ASCOが推奨する標準治療方針です。
もちろん現在治療を受けられていない方にとって、またがんではない一般の方にとってはこの知識は不要かつ、理解が難しいと思います。現在 再発乳がんで治療中の方で、その治療から得られる効果が次第に弱くなってきている、効果が得られなくなるかもしれない、そんな不安を抱えている方のために書かれた記事と思ってください。
1PIK3CA遺伝子に変異を有している進行乳がん、転移性乳がん、男性乳がんに対しては、ホルモン剤 + CDK4/6阻害剤(筆者注:日本ではイブランス®やベージニオ®がそれにあたります)の使用が有効でなくなった際に、Piqray®(これは商品名です。日本では異なる名称になるかもしれません。)(アルペリシブ)の使用を推奨する。ただし副作用*に厳重な注意が必要である。
(*筆者注:SOLOR-1と呼ばれる臨床試験の結果を踏まえてこの発表がなされている。その研究の中で、アルペリシブは副作用として強い耐糖能異常を来すことがわかった。つまり糖尿病状態になる。)

2CDK4/6阻害剤は、閉経後女性に対してはノンステロイダルなアロマターゼ阻害剤(筆者注:日本ではアリミデックス®、フェマーラ®がそれに相当する)との併用を勧め、閉経前女性に対しては何らかの卵巣機能抑制(外科的に卵巣を摘出することを除けば、ゾラデックス®や、リュープリン®などのLH-RH製剤を使用する)を行った上で、それらを行うことを推奨する。

3次世代シーケンサー(筆者注:腫瘍におけるDNA異常を解析する装置)を用いて、PIK3CA変異、BRCA1あるいはBRCA2変異、そして全症例に適応することはまだ時期早々と思われるがESR1変異(筆者注:これが変異すると、ホルモン剤を使ってホルモンによる刺激をブロックしても、勝手に細胞が刺激を受けているかのように振る舞い、分裂を始める)を標的として調査することで、治療方針の作成に役に立てることを推奨する。

これらが示されました。難しいですね。
この記事に興味を持つ方以外だと、理解は難しいと思います。ただすでにホルモン剤とCDK4/6阻害剤を飲んでおられる方で、さらに効果が弱くなって来られている状態の方だと、不安な日々を送られているでしょうから、こうした記事は理解もでき、興味もあるのではないでしょうか。

つまり先述した状態の方であれば、こう読んでほしいのです。

PIK3CA遺伝子の変異を調べ、その異常が見つかれば、アルペリシブという新薬が効果を示す

これが今年新しく示されたのです。

Andre F, Ciruelos E, Rubovszky G, Campone M, Loibl S, Rugo HS, et al. Alpelisib for PIK3CA-Mutated, Hormone Receptor-Positive Advanced Breast Cancer. N Engl J Med. 2019;380(20):1929-40.

実際の論文には図のような結果が示されました。
PIK3CA遺伝子変異陽性の腫瘍を持つ再発患者さんが、フルベストランとアルペリシブによる治療を受けられた場合、フルベストラント単独と比較して、5.7か月から11.0か月も進行を遅らせることがわかりました。たった5か月程度と思われるかもしれませんが、ほぼ倍に伸びています。それから言えば1年で進行する方なら2年に延びる可能性がある、と考えると非常に良好な結果であるといえます。
ただ同時に行われたPIK3CA遺伝子変異のない方での検討では残念ながら差が認められませんでした。

3でも示されているように、PIK3CAというバイオマーカーを参考にして、それが陽性であればアルペリシブが効果があります。
また以前紹介したようにBRCAというバイオマーカーを参考として、それが陽性であればPARP阻害剤、具体的には日本ではリムパーザが効果があります。

以前はホルモンレセプター(HR)、あるいはHER2、この二つが代表的なバイオマーカーでしたが、今ではこれに加えてPIK3CA、BRCA、さらに免疫チェックポイント阻害剤のバイオマーカーであるPD-L1が加わったことになります。単純にHR陽性陰性で2、HER2の陽性陰性で2、と2の5乗、32種類のがんが分類されたことになり、治療も応じて複雑化してきています。将来は次世代シーケンサーで一気にバイオマーカーを検査して、適切な治療法をAIが提示してくれる、そんな風になりそうです。

現在、日本で保険適応とされているのは2だけになります。
3は一部で可能になっています。ただ文面からはPIK3CA変異の検査はルーティンとして施行するべきと書かれていますが、日本では保険収載されていません。またこれが可能になっても、それに対応する治療薬剤のアルペリシブが保険収載されていないため、もうしばらく待たないといけません。
またアルペリシブによって高頻度(3割以上で比較的重症になるとされます)に認められる耐糖能異常のコントロールについても、実際の使用に際しては、発生したときに対応をどうするか、しっかり対策を立てておく必要があるでしょう。

ただこうした道筋が見えていれば、何もない暗闇で待つよりも光が見えています。COVIDのワクチンで分かるように、必要とあれば数か月で臨床導入されるのですから、あきらめるのは早いと思います。

朗報を待ちましょう。

”ブレスト・アウェアネス”という考え方

皆さんはブレスト・アウェアネスという言葉を知っていますか?

乳がんは自分でも検診できる珍しいがんです。
「自覚症状が出現してから病院を受診して、もしがんだったなら、もはや…」は一般の方もよく知っている話です。それは原則間違っていません。がんは初期には症状はないことが多いのです。ですので症状が出現している時点でその原因ががんだったなら、それは当然進んでいる、あり得ます。

ただ、乳がんの自己検診は違います。自分できちんと定期的に検診してがんを見つけたなら、それは立派な検診です。早期発見されている可能性のほうが高いでしょう。その意味からも、そして30歳代から60歳くらいまでで、もっとも罹患率の高いがんである乳がんを、自己検診しないのは何とももったいない話です。

私のクリニックに検診に来られた方が異常がなかったとしても、私は「1か月に1度は自己検診してください」と勧めています。

ただたいていの方は、触ってもよくわからないから…と濁されます。

それは当たり前のことです。乳がんに罹患したことがない、健康でずっと過ごされてきた方は、乳がんを触ったことがありません。わからないものを触って探しに行っても何もわからない、それで当然です。アサリがどんなものか知らない子供が潮干狩りに行って、砂の中を探しているようなものです。カニでも石でもなんだって拾ってくるでしょう。お母さん、これアサリ? アサリはこれだよ、お母さんが見せてあげて、初めて見つけられるようになります。それでも死んだ空っぽの貝殻を拾ってきたりしますよね。
いままで乳がんに罹患したことのない方が、乳がんがどんなふうに硬く、しこって触るのか、知るはずはありません。だからわからなくて当然です。がんを探しに行くからわからないのです。

私は外科医なので、乳がんの手術を担当し、術後にご家族に説明します。その際に、ご家族で女性が来られていたら、必ず切除された乳腺を触ってもらっていました。
「ね、ここです。硬いでしょ。でもこれだけ硬くて大きくても、痛くもかゆくもないんですよ。逆にそれこそ乳がんの特徴なんです。」と説明しながら触ってもらっていました。

「私は先生の患者さんの家族でもないし、なにより乳がんにかかった家族はいません。だからそんなチャンスはありません」

その方のための、ブレスト・アウェアネス(Breast Awareness)です。

Awarenessは、訳すと”気づき”とか”認識”となります。”自分の乳腺を知ること”と訳します。

NCCNガイドライン

これは私がよく引用している米国の乳腺の検診と診断のガイドラインの一部です。(もし見られない方は日本語版がありますので参照してください)

ここにブレスト・アウェアネスの言葉が出てきます。参考までに訳してみると、「特にリスクのない、25歳から40歳の女性は1-3年ごとに医療機関を受診し、ブレスト・アウェアネスに気を付けてください」と書かれています。ですのでブレスト・アウェアネスの意味が分からないと、このガイドラインは意味が分かりません。

NCCNガイドライン2

これは同じガイドラインの注釈で書かれていることです。
ブレスト・アウェアネスとは:各個人がそれぞれの乳腺の状況に精通し(状態を認知し)、もし何か変化があったら間髪おかず、かかりつけ医に相談すること
と書かれています。
ここまで解説されても結局何を言っているのかわからない、と言われる方も多いでしょう。

ここでは 私なりの言葉で皆さんにわかりやすく、このブレスト・アウェアネスという言葉を解説してみたいと思います。乳がんの方、その家族の方に限らず、すべての方に大切な概念です。

まずどこでもいいので、医師が診察してくれて、医師と話の出来る環境で乳がんの検診を受けてください。もし自分で何らかの所見に気が付いていたり、症状があればその際に必ず医師に相談してください。
ドックや会社検診で写真だけ取ってあとから結果が帰ってくる検査はここでは含みません。医師と話ができることが重要です。

マンモグラフィ検査を受けたら、自分の乳腺の濃度を教えてもらって把握しましょう。
高濃度乳腺とは -Are You Dense?ー を参考にしてください。)
もし高濃度乳腺であれば、マンモグラフィ検査だけでは不十分なことがあります。
乳腺超音波検査、場合によってはMRI検査などが必要なら受けましょう。これらによって、自分の症状は悪性ではないことを確認しましょう。

そして貴方ははれて本日 異常なし と医師によって診断されました。つまり正常な乳腺です。

帰宅したら、今日の入浴の際に、改めて意識的に自己検診をしてください。
できれば生理が終わって1-2週間が理想ですが、そうも言ってられないと思います。インターネットを調べて自己検診のやり方を調べられる方もおられるでしょう。それもいいアイデアです。ただやり方は問いません、とにかく今日、自分の乳腺の全体を触ってみましょう

触っているとき、どこかが硬いと感じるかもしれません。ここは痛いな、と感じるかもしれません。改めて気になる所見が見つかるかもしれません。ただそれらすべてが貴方の正常な乳腺の状態です。

つまり、異常なしと診断された、その日に自己検診を行い、自分の正常な乳腺の状態を把握(認識、精通、熟知=アウェアネスです!)しておくことが重要なのです。

それからは できるだけ生理周期も同じ時期を選んで、さらにやり方も同じやり方で、月に1回は自己検診してみましょう。
もし今日の自己検診でなかった所見が、将来見つかったら、それは異常です。
間髪おかず、かかりつけ医に相談しましょう。

乳がんは原則として痛くもかゆくもありません。ただ硬く、しこりを感じる、それが典型的な症状なのです。裏を返せば触っておかなければ見つかりません。早期の乳がんが、痛みやかゆみ、違和感など、自覚症状で存在を教えてくれることなどないのです。ばれないように、みつからないように、そっと潜んでいる、そう認識してください。見つけに行かないと見つからないのです。そこで武器になるのが、正常な自分の乳腺の状況をアウェアネスしておくことになります。

正常な状態を知っているから異常な状態に気が付くことができる。
異常を探すのではなく、正常な自分の乳腺を覚えておいて、現在の乳腺を比較するのです。
たとえ乳がんを触ったことがなくても、自分の乳腺の正常な状態を把握しておけば、異常には気が付くことができるのです。もちろんそれが乳がんとは限りません。ただ以前はなかったものが何かできている、現れた、それが重要な所見、気づきになります。

先に触れた米国のガイドラインは、
症状がなく、さらに遺伝性の要因、出産授乳経験がない、肥満がない、などリスクのない方で、25歳から40歳の女性は1-3年に1度 医療機関を受診し、異常のないことを確認すること。
そしてその際に自分の正常な乳腺の状態をアウェアネスし、自己検診を行う中でもし異常を見つけたら間髪おかずに医療機関を受診すること。
と書いてある、ということになります。

2021.07.10

すでに乳がんに罹患した方が、遺伝子を検査することに意味はあるか? …その3

さて遺伝子の記事も4回目になりました。
最後に、先日来られた患者さんとの会話をお話ししたいと思います。

「今、乳がんが再発しているのでもない、ちゃんと治ったと思っている。だからもう乳がんのことなんか考えたくもない。やっと忘れられそうなのよ。けれども遺伝子の検査を受けて陽性なんてわかったら、これからずっと気にして生きていかなければならないじゃない。ましてそれを自分の子供にまで引き継ぐなんて想像したくもない。」
そう思われている方にお話ししておきたいことなのです。
そしてこれも陽性と診断されたときのメリットの話なのです。

スペース

検査を受けたから、遺伝子のバリアントが陽性になるのではありません。陽性の方は検査をしてもしなくても、一生陽性です。同様に陰性の方は陰性です。
これは、お説教のように聞こえるので、その時には口にしませんでした。ただどこかで否定したいと思っておられる方はそう言われても心には届かず、受け入れがたいことに変わりはないでしょう。

ここからは実際の会話からになります。
先に子供さんの話が出ました。
患者さんに聞くのですが、娘さんがそういった年齢になられたら、娘さんには、お母さんのように乳がんになったりしない、だから安心して暮らしなさい、というのですか?
それとも、お母さんは早期発見できたからこうして元気なのよ。お母さんが乳がんになったのだから、たとえ同じくらいの年齢の友達がだれも検診していなくても、あなたは気を付けてきちんと受けなさい。そう言うのですか? どちらですか?

きっと後者ですよね。
そこで娘さんはおそらく聞くでしょう。検診受けろ、といったって、私はいま15歳なんだけど、何歳から受ければいいの?もう今年から?

正確にこたえられますか?
参考までに以前も紹介した「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)をご理解いただくために」から引用しました。

18歳から 自己検診を行う
25歳から29歳 医療機関で半年から1年に1回の頻度で、視触診検査を受ける。
1年に1回 乳房造影MRI検査を受ける。MRI検査ができない場合はトモシンセシスの併用を考慮したマンモグラフィを受ける。
30歳未満で乳がんと診断された血縁者がおられれば個別に判断する。
30歳から75歳 医療機関で半年から1年に1回の頻度で、視触診検査を受ける。
1年に1回 乳房造影MRI検査を受ける。MRI検査ができない場合はトモシンセシスの併用を考慮したマンモグラフィを受ける。
75歳 個別に話し合う

この表を参考にされる方に:ちなみにトモシンセシスでもいいかの印象を与えますが、造影MRI検査のほうが優れています。可能な限りMRIの検査を選択しましょう。
加えて注意が必要なのですが、MRI検査を受ける際には月経周期2週目を狙って施行しましょう。それ以外の周期だと乳腺全体に造影剤が入りやすく、同じように検査を受けても病変が見辛く、見つけにくくなってしまいます。
注意:この検査スケジュールは遺伝性乳がん卵巣がん症候群と証明された方に勧められるものであり、そうでない方には明らかに過剰です。

皆さんがこれを覚えていて、正確に娘さんにお話ししたとしましょう。そして娘さんがしっかりそれを聞いてくださって、そして覚えていて、守ってくださったとしましょう。
ただここで思い出してほしいのは、患者さんも、娘さんも、陽性であるとは限りません。
もし陰性であれば、これらの検査はあきらかに過剰です。

ちなみに先に述べた「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)をご理解いただくために」が参照した、米国NCCNのガイドラインによれば、乳がんのリスクが特に高いと言えない方であれば下記の検診で十分であるとされています。(ここで注意をしたいのは、リスクが高くない、と判断するにも専門知識が必要であるということです。血縁者に乳癌の方がいないだけでは低いと言えません。血縁者で卵巣がんの方がおられる、BMI高値(肥満)、飲酒される、出産経験がない、などもリスクになるとされます)

25歳から39歳 1から3年ごとの外来受診
ブレスト・アウェアネス 
筆者注:これは自分の乳腺の状態を普段から把握しておき(つまり自己検診しておき)、異常があればすぐに受診すること、という意味です。重要なことは乳がんは初期には原則として痛みはないということです。痛いからがんではない、は危険ですが、痛くもかゆくもないが、その位置だけ異常に硬い、が乳がんの一般的な症状です。ですので触診していなければ気づきません。
40歳以上

年1回の外来受診
年1回の検診マンモグラフィ(トモシンセシスの併用を考慮する)
ブレスト・アウェアネス

したがってもし娘さんがBRCA遺伝子のバリアントが陰性であるのなら、25歳から39歳まで、不要なマンモグラフィ、さらにMRI検査を受けることになります。
健診は自己負担なので、コストもかかります。なにより、若い方にとってできるだけ無駄な被爆は避けるべきです。マンモグラフィの被ばく量は低いですが、若い年齢から高齢になるまで継続して検査が行われ、さらに通常とは別にトモシンセシス(3Dマンモグラフィ)が併用されていれば決して無視はできません。本来必要な検査でないのならなおさらです。

加えてBRCA遺伝子バリアントがある方では、ある年齢に達すれば卵巣がん、そしてほかのがんに対する検診も必要になってきます。親とはいえ、そこまで管理しきれないのではないでしょうか。

スペース

先生は、陽性と診断された際の”メリット”の話をすると言われたではないですか?それはデメリットでしょう。この話は逆に陰性と診断された際のメリットの話ではないでしょうか?
そう思われた方がおられるかもしれません。

BRCA遺伝子バリアントの検査を受けなければ、それで無視できるものではない、それはすでに話をしました。そして遺伝子の検査を受けてないからと言って、陽性の可能性が否定できなければ、皆さん自身が血縁者にはそういう危険性があるという認識でおられるはずです。そこでご家族に専門知識のないまま、説明し、検査を勧める必要に迫られることがあるはずです。問題はそこなのです。
検査を受けなければ、乳がんを罹患した方ご本人が、ご本人やご家族の、将来のがんの危険性について、しょいこむことになってしまうのです。たとえ自分のことはどうなってもいい、そう思われている方であっても、家族にまでがんの苦しみを背負わせたくない、そう思っている方であるほど、検査を受けないでいる限り、HBOCの可能性から解放されることもないまま、また誰の助けも借りることもできずに、それをしょい込まなければならないのです。

私は、乳がん患者さんで、先に述べたBRCA遺伝子バリアント陽性の危険性が高い方に、必ず一度はそのことを説明し、カウンセリングを受けられるよう勧めています。ただカウンセリングを受けられた患者さん全員が実際に検査を受けられるのではありません。割合として1割くらいの方が検査を受けられ、9割の方は保留されるようです。

私のところに帰ってきた患者さんは、せっかく勧めていただいたのに検査を受けなくてすいません、と申し訳なさそうに謝られます。ただ私は検査を受けられない方に必ずこういうのです。
「いえ、謝ることなどないですよ。私はほっとしているのですから。」

BRCA遺伝子バリアント陽性の方は検査を受けようが受けまいが陽性です。乳がんに限らず、がんについて様々なリスクがあります。
陽性とわかっていない、検査で確定していないのであれば、医師の方か陽性の場合に準じた、過剰な検査をすることはありません。検査の押し売りはできないからです。
ただもし検査で陽性と確定している方であれば、その方が来院されている限り、その方のリスク管理は医師が背負わなければなりません。少なくとも乳腺、乳がんに関しては、間違いなく医師側にリスク管理の責任があります。来てくださればもちろんそのご家族もです。つまり検査を受けて陽性と診断されれば、その後将来のがんに関しては、医師にリスク管理の責任が移るのです。
これが私の考える検査を受けて、陽性と診断された場合のメリットになります。

繰り返しますが、検査をしなくても、HBOCのリスクから逃げられるわけではありません。確かに実際に検査を受けて陰性と確定した時にはその不安からは解放されます。ただお分かりの通り、乳がんの可能性からは解放されません。特別な注意が必要ではなくなる、それだけです。
ただ陽性と診断されたとしても、その後のリスク管理は、医師や、遺伝カウンセラーが主に背負うことになります。もちろん医師や、カウンセラーの意見に耳を傾けていただくことは必要です。ただ患者さんが一人でしょい込む必要はなくなるのです。その意味から私はやはり解放されるのではないか、と考えています。
全部知らなければよかった、それはそうかもしれませんが、過去には帰れません。
もしすべてを忘れることができたとしても、これから必ず必要になる知識だからです。娘さんが、姪御さんが、家族のだれであっても、今後病院を受診した時には家族歴を尋ねられるからです。
未来に向き合うなら、正しく向き合う、一人ではなくみんなで向き合っていけばいい、そう思います。

プレゼンテーション2

2021.07.08

すでに乳がんに罹患した方が、遺伝子を検査することに意味はあるか? …その2

BRCA1/2遺伝子にバリアントがあるために引き起こされるHBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)が関与する割合は、乳がん患者さん全体の4%前後とされています。トリプルネガティブ乳がん患者さん全体ではどれくらいの方が関与されているかについて、日本人のデータはほとんどありません。ただ今年、大阪国際がんセンターから出されたデータによれば、最近7年間 65人のトリプルネガティブ乳がん患者さんを調査したところ、13人(20%)がBRCA1/2遺伝子バリアント陽性であったとのことです [1]。
ちなみに北米やヨーロッパの100名を超える大きなデータベースでは9.3から15.4%とされていますから[2,3]、日本ではそれよりも高い可能性があります。しかし我が国のデータはあまりに数が少ないため、それは今後の調査を待って結論が出るでしょう。ただトリプルネガティブ乳がん患者さんでは、HBOCが関与する比率が、乳がん患者さん全体と比較して高い、ということはすでに確立した概念です。
確固とした治療の標的を持たないことがその名前の由来であったトリプルネガティブ乳がんですが、少なくとも2割弱の方では、HBOCの検査を受けられることによって、治療の標的が見つかる、ということがわかります。HBOCにおけるBRCAの遺伝子バリアントは、現在ではすでに治療の標的なのです。その意味からはもうトリプルネガティブ乳がんというのは失礼かもしれません。ER陰性、PgR陰性、HER2陰性、BRCAバリアント”陽性”乳がんです。
そしてそれが大きなメリットになりつつあることはいままでもこのブログの中で触れてきました。
トリプルネガティブ乳がんと免疫チェックポイント阻害剤 その2
ちなみにHER2陽性乳がん患者さんでは、治療目的にBRCAバリアント検査がなされることは原則ありません。HER2陽性患者さんにも少なからずBRCAバリアント陽性の方がおられるはずですが、BRCAを標的とする治療は原則施行されません。HER2という確固とした標的がすでにあるからです。

ここではがん治療において、標的がある、標的がない、とはどういうことなのか、もう一度整理してみようと思います。それを知ることで、おのずと遺伝子を検査するメリットが見えてくるはずです。

皆さんは学校の職員です。先生としましょう。
教室の生徒の中に悪い子がいます。いつも悪さばかりするので、先生であるあなたは懲らしめたい。そこでその子だけおなかが痛くなるような給食を作りたいと考えました。もちろんその子だけに何か別の給食を作ったら変です。みんな同じ給食を食べるのですが、その悪い子だけにはおいしくない、おなかが痛くなる、ほかのみんなは何ともない、そんな給食の献立はどこかにあるでしょうか?
まず思いつかないと思います。現実はもっと厳しくて、この生徒たちは皆双子、三つ子、四十つ子で同じ遺伝子を持っています。そして悪さしている子だけ懲らしめたい。そんな献立です。抗がん剤を作る、というのはそれによく似たことなのです。

そりゃ無理だ。でも実際抗がん剤は存在して、治療しているじゃないか、それはどんな理屈なんだ?
そう思われる方もおられるでしょう。
現在存在している抗がん剤のうち、以前から存在している薬剤、ここでは”分子標的薬剤”を除く、と考えてください。こうした抗がん剤はどのようにしてがん細胞を懲らしめているのか。

先のたとえで言うならば、みんなの小遣いを一気に減らしてしまいます。そうすれば悪い子が夜中に悪さをするためのお金が無くなって、悪いことができなくなるだろう、今の抗がん剤はそんな感じです。だから他の普通の生徒たちもたとえば参考書が買えなかったり、部活動ができなかったりします。いわゆる副作用です。
そう考えれば抗がん剤の開発が難しく、同時にどうしても副作用から逃れにくいことが理解できると思います。

”標的”があるということ。

普通の細胞と、がん細胞を区別するものが何かないか。
普通の細胞にはないのに、がん細胞にはあるもの。逆に正常細胞にあるのに、がん細胞にだけ存在しないもの。そうしたものを何とか探し出せないか、生物学者が必死に探し続けているものです。それが見つかればその細胞にだけ、栄養を与えず、毒を渡してしまえばいいのです。(ごめんなさい、学校のたとえはその意味ではちょっとよくないですが、御容赦ください)

乳がん細胞のそうした標的の一つがホルモンのレセプターです。
え、正常細胞にはホルモンのレセプターはないの? もちろんあります。
ただ女性ホルモンのレセプターを出している細胞は、女性の性機能にかかわる細胞に主に出現しています。がん細胞以外の正常な細胞であっても、性の活動、妊娠、出産、授乳など、そうした活動をしなければ一緒に攻撃してしまっても問題ありません。もちろんホルモン剤を使用しながら妊娠をすれば重大な問題が起こります。ただそうでなければ、男性が元気に暮らしていけるように、女性の性の活動以外の生活には大きな問題が生じないのです。(注 女性ホルモンをブロックしたからと言って男性にはなりません。男性ホルモンは出ないからです。)

このように標的があれば、それを狙う薬を作る。それが成功すれば治療の劇的な効果と、副作用の強力な抑制が可能になります。極端な話ですが、たとえ効果がそれほど高くなかったとしても、副作用が少ないのであれば、効果が得られるまで、どんどん薬の量を増やしていけばいいのです。標的それを狙う薬剤、多くは分子標的薬剤と呼ばれます、この二つが揃えば、恐ろしい病気であるがんも治療できるのです。

標的: ホルモンレセプター 薬剤: ホルモン剤(これも広い意味で分子標的薬剤です)
標的: HER2蛋白     薬剤: 抗HER2分子標的薬剤
こうしてペアで考えればがんの治療薬の理解はわかりやすくなります。乳がん治療の大きな柱であるこの二つのペア、その標的の両方を持たないことからトリプルネガティブ乳がん治療は難しいとされてきたのです。

現在もトリプルネガティブ乳がんでの標的探しが続いています。
ただいま標的と薬剤のペアが揃っていて、効果も証明済のものとして
標的: PD-(L)1   薬剤:免疫チェックポイント阻害剤
標的: BRCA遺伝子バリアント陽性のおけるPARP  薬剤:PARP阻害剤
という新たなペアが見つかったといっていいでしょう。もちろん保険収載されています。
特にいままで標的がないとされてきた、トリプルネガティブ乳がんにおいては重要な治療の選択肢を与えるものになった、ということなのです。
標的と、それを狙う薬剤のペアで構成されるがん治療は、効果が高く、副作用が軽い特徴があります。現在でも効果が完璧かつ、副作用が0の理想の薬はまだありません。それができればがんは根治可能になります。ただそれは大変難しい。たとえば外からやってきて、悪さをするウィルスであっても、それを狙う抗ウィルス剤には副作用があります。先にふれたとおり、がん細胞は紛れもない自分の細胞であり、外から来たものではありません。その行動パターンが正常範囲を逸脱しているだけです。異常な増殖、や、多臓器への転移がそれです。したがって異常な増殖をターゲットにしたとしても、正常な傷を治す働き、髪の毛の毛根細胞などにはダメージがあります。がん細胞が使っているシグナルや機能は、正常な細胞も使うことがあるからです。がん細胞における標的は、名札のような単純なものではありません。正常な細胞であれば”めったに”出すことはない、それがまれであればあるほど優秀な標的である、と言えます。ただかならず正常な細胞もその標的を持っているのです。
免疫チェックポイント阻害剤、PARP阻害剤も副作用はあります。ただ効果に比して軽いものであるか、頻度が低いことがわかっています。トリプルネガティブ乳がんの治療において大きな前進があった、そう言えると思います。
このことが陽性とわかった時のメリット、現在ではその最大のものでしょう。
ここまで読まれた方であればよければもう一度、下記の記事を読んでいただければより理解が深まると思います。(トリプルネガティブ乳がんと免疫チェックポイント阻害剤 その2

1.         Fujisawa F, Tamaki Y, Inoue T, Nakayama T, Yagi T, Kittaka N, Yoshinami T, Nishio M, Matsui S, Kusama H et al: Prevalence of BRCA1 and BRCA2 mutations in Japanese patients with triple-negative breast cancer: A single institute retrospective study. Mol Clin Oncol 2021, 14(5):96.

2.         Armstrong N, Ryder S, Forbes C, Ross J, Quek RG: A systematic review of the international prevalence of BRCA mutation in breast cancer. Clin Epidemiol 2019, 11:543-561.

3.         Emborgo TS, Saporito D, Muse KI, Barrera AMG, Litton JK, Lu KH, Arun BK: Prospective Evaluation of Universal BRCA Testing for Women With Triple-Negative Breast Cancer. JNCI Cancer Spectr 2020, 4(2):pkaa002.