乳腺と向き合う日々に

2021.08.17

ホルモン剤を飲んで、治療するということを、もう一度考える。第1回

この話の最初はこの質問から始めます。
1000人の生徒を抱える塾がABと二つあります。Aの塾では499人が東大に受かります。Bでは500人です。わずかな差ですが、10年間の平均の成績から明らかにBの塾のほうが優れていることがわかっています。しかしAの塾は毎月1万円、Bの塾は100万円の授業料がかかります。皆さんは子供をどちらの塾に入れますか?」

最初から難しい話で申し訳ない。

ホルモン剤はそもそもなぜ飲まなければならないのか? 

これがわかっておられないまま飲まれても10年どころか5年飲むことも苦痛でしょう。

がんだからでしょう? そのとおり。
でもホルモン剤はがんに対してどうしてくれるというのでしょう?

治してくれる。 それは当たり前ですけれどもね。

ホルモン剤に限らず、抗がん剤にせよ、分子標的薬剤にせよ、もちろんがん治療を目的に作られていますが、製薬会社にとってはそれ以上に重要な目的があります。こうした薬剤の開発費は膨大なものとなっており、その回収をしなければ、社員の給料どころか、会社の存続すら危うくなります。投資した分は回収し、さらに次の薬剤の開発費も稼がなければやっていけません。効果は大きく見せたいですし、副作用は小さく見せたい。その上で現在使用されている標準治療の薬剤を“有意に”上回る成績であれば、最上級の成果になるでしょう。

有意な”というのは統計学的に意味がある、ということになります。

サイコロゲームを考えましょう。1-3の目が出ればあなたの勝ち、46が出れば私の勝ちです。お気づきですが、このゲームは繰り返せば繰り返すほど、回数を増やせば引き分けになります。ですので、最初の3回連続で貴方が勝った、としても、だから貴方はこのゲームにおいて私よりも強い、と結論付けるのは間違いです。

ただ回数を何回くらいまで増やしたら大体引き分けになってくるか、それが問題です。1回だと絶対に引き分けはありませんよね。最低6回は必要そうです。

このサイコロを100の目のサイコロとします。たとえば1が出れば貴方が勝ち、2から100までなら私が勝ち、その勝負をする人はいません。1から49なら貴方、50から100なら私、これも実は私が勝ちですが、その差がわずかしかないので、おそらく6回勝負したくらいでは結論は出にくい。貴方と私の勝率がきちんと4951になるのには相当な数の勝負をしないといけないと思います。

 逆にわずかな差しかなくても、それに対応するだけの千回、一万回、十万回と多くの回数の勝負をしたら、その差は統計的に“有意な”ものだ、と結論付けることが可能になります。巨額の投資を行い、1000人、1万人といったたくさんの患者さんで臨床試験をすれば、わずかな差しかない薬剤であっても有意差をもって優れている、という結果を出すことができます。

 ながなが話をしてきましたが、こうして証明された“有意に”優れた治療法が、論文になっていたとしても、それはたしかに優れているかもしれないが、実際にその治療法を受けられる患者さんにとって意味があることなのかはしっかり見定めないといけません

「え、どんなに小さな差であっても、わずかで優れている治療法がいいんじゃないの?」
そう思われる方もおられるでしょう。たしかに、学問として考えればそうです。 ただわずかに治療成績が優れているから、それが第一選択の治療法、つまり標準治療になり得るのか、を考えたいのです。
たとえば1000人の生徒を抱える塾がABと二つあります。Aの塾では499人が東大に受かります。Bでは500人です。わずかな差ですが、10年間の平均の成績から明らかにBの塾のほうが優れていることがわかっています。しかしAの塾は毎月1万円、Bの塾は100万円の授業料がかかります。皆さんは子供をどちらの塾に入れますか?

 そういうことです。何事もバランスなのです。
たくさんの患者さんを集めて研究すれば、わずかな差であっても優劣を統計学的に証明することができます。Bの塾はその結果を踏まえてAの塾を研究するでしょう。ABの欠点を研究するかもしれない。それはそれで意味はあります。しかし実際に子供を塾に通わせる親にとっては、その程度の微小な差で、それだけの費用を負担させられるのは受け入れられません。

 最初の薬の話に戻ります。

新薬が開発されたとして、その巨額の開発費を製薬会社は何としても回収したい。そのためには標準治療に何としても勝ちたい、その可能性も高そうです。しかし標準治療は歴戦の勝者、それほどの差は望めません。

そこで10000人の患者さんを集めて臨床試験を行い、標準治療では4999、新規薬剤では5000の人が治りました。統計的にも新規薬剤が優れていることが”有意に”証明されたとしましょう。(実際はこの程度の数で、この程度の差では、統計学的に有意差は証明できません)

 こうして出てきたお薬は“いままでの標準治療よりも優れていることが証明されています”と打ち出し、販売されるでしょう。当然開発費が上乗せされ、特許が乗り、大変高額なものとなるはずです。宣伝費も含まれます。一方で標準治療はすでに特許が切れ、ジェネリックに置き換わっており、安価になっています。 

さあどちらの治療法で治療するのが正解でしょうか?

副作用はどちらが強いのですか?

その考え方が正解です。それなしで決められませんよね。
治療法を選択するにあたっては、したがって優劣がある場合、優を第一選択にしつつもそれがどれくらいの差なのか、は把握しておく必要があります。そのうえでコスト、副作用はもちろん、通院の手間や、経口薬であり簡単に家で治療できるのか、長時間かけて病院で点滴しなければならないのか、も考える必要があります。そうです、バランスをとること、それが一番大事なのです。

これは大変難しい作業です。加えてその患者さんの事情によって、個別に考えていかないと、結論が出ないことでもあります。そのために主治医が必要であり、コンピュータで治療法を決められない理由にもなるでしょう。

ホルモン剤を飲んで、治療するということを、もう一度考える。第2回に続く
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