乳腺と向き合う日々に

すでに乳がんに罹患した方が、遺伝子を検査することに意味はあるか? …その3

さて遺伝子の記事も4回目になりました。
最後に、先日来られた患者さんとの会話をお話ししたいと思います。

「今、乳がんが再発しているのでもない、ちゃんと治ったと思っている。だからもう乳がんのことなんか考えたくもない。やっと忘れられそうなのよ。けれども遺伝子の検査を受けて陽性なんてわかったら、これからずっと気にして生きていかなければならないじゃない。ましてそれを自分の子供にまで引き継ぐなんて想像したくもない。」
そう思われている方にお話ししておきたいことなのです。
そしてこれも陽性と診断されたときのメリットの話なのです。

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検査を受けたから、遺伝子のバリアントが陽性になるのではありません。陽性の方は検査をしてもしなくても、一生陽性です。同様に陰性の方は陰性です。
これは、お説教のように聞こえるので、その時には口にしませんでした。ただどこかで否定したいと思っておられる方はそう言われても心には届かず、受け入れがたいことに変わりはないでしょう。

ここからは実際の会話からになります。
先に子供さんの話が出ました。
患者さんに聞くのですが、娘さんがそういった年齢になられたら、娘さんには、お母さんのように乳がんになったりしない、だから安心して暮らしなさい、というのですか?
それとも、お母さんは早期発見できたからこうして元気なのよ。お母さんが乳がんになったのだから、たとえ同じくらいの年齢の友達がだれも検診していなくても、あなたは気を付けてきちんと受けなさい。そう言うのですか? どちらですか?

きっと後者ですよね。
そこで娘さんはおそらく聞くでしょう。検診受けろ、といったって、私はいま15歳なんだけど、何歳から受ければいいの?もう今年から?

正確にこたえられますか?
参考までに以前も紹介した「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)をご理解いただくために」から引用しました。

18歳から 自己検診を行う
25歳から29歳 医療機関で半年から1年に1回の頻度で、視触診検査を受ける。
1年に1回 乳房造影MRI検査を受ける。MRI検査ができない場合はトモシンセシスの併用を考慮したマンモグラフィを受ける。
30歳未満で乳がんと診断された血縁者がおられれば個別に判断する。
30歳から75歳 医療機関で半年から1年に1回の頻度で、視触診検査を受ける。
1年に1回 乳房造影MRI検査を受ける。MRI検査ができない場合はトモシンセシスの併用を考慮したマンモグラフィを受ける。
75歳 個別に話し合う

この表を参考にされる方に:ちなみにトモシンセシスでもいいかの印象を与えますが、造影MRI検査のほうが優れています。可能な限りMRIの検査を選択しましょう。
加えて注意が必要なのですが、MRI検査を受ける際には月経周期2週目を狙って施行しましょう。それ以外の周期だと乳腺全体に造影剤が入りやすく、同じように検査を受けても病変が見辛く、見つけにくくなってしまいます。
注意:この検査スケジュールは遺伝性乳がん卵巣がん症候群と証明された方に勧められるものであり、そうでない方には明らかに過剰です。

皆さんがこれを覚えていて、正確に娘さんにお話ししたとしましょう。そして娘さんがしっかりそれを聞いてくださって、そして覚えていて、守ってくださったとしましょう。
ただここで思い出してほしいのは、患者さんも、娘さんも、陽性であるとは限りません。
もし陰性であれば、これらの検査はあきらかに過剰です。

ちなみに先に述べた「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)をご理解いただくために」が参照した、米国NCCNのガイドラインによれば、乳がんのリスクが特に高いと言えない方であれば下記の検診で十分であるとされています。(ここで注意をしたいのは、リスクが高くない、と判断するにも専門知識が必要であるということです。血縁者に乳癌の方がいないだけでは低いと言えません。血縁者で卵巣がんの方がおられる、BMI高値(肥満)、飲酒される、出産経験がない、などもリスクになるとされます)

25歳から39歳 1から3年ごとの外来受診
ブレスト・アウェアネス 
筆者注:これは自分の乳腺の状態を普段から把握しておき(つまり自己検診しておき)、異常があればすぐに受診すること、という意味です。重要なことは乳がんは初期には原則として痛みはないということです。痛いからがんではない、は危険ですが、痛くもかゆくもないが、その位置だけ異常に硬い、が乳がんの一般的な症状です。ですので触診していなければ気づきません。
40歳以上

年1回の外来受診
年1回の検診マンモグラフィ(トモシンセシスの併用を考慮する)
ブレスト・アウェアネス

したがってもし娘さんがBRCA遺伝子のバリアントが陰性であるのなら、25歳から39歳まで、不要なマンモグラフィ、さらにMRI検査を受けることになります。
健診は自己負担なので、コストもかかります。なにより、若い方にとってできるだけ無駄な被爆は避けるべきです。マンモグラフィの被ばく量は低いですが、若い年齢から高齢になるまで継続して検査が行われ、さらに通常とは別にトモシンセシス(3Dマンモグラフィ)が併用されていれば決して無視はできません。本来必要な検査でないのならなおさらです。

加えてBRCA遺伝子バリアントがある方では、ある年齢に達すれば卵巣がん、そしてほかのがんに対する検診も必要になってきます。親とはいえ、そこまで管理しきれないのではないでしょうか。

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先生は、陽性と診断された際の”メリット”の話をすると言われたではないですか?それはデメリットでしょう。この話は逆に陰性と診断された際のメリットの話ではないでしょうか?
そう思われた方がおられるかもしれません。

BRCA遺伝子バリアントの検査を受けなければ、それで無視できるものではない、それはすでに話をしました。そして遺伝子の検査を受けてないからと言って、陽性の可能性が否定できなければ、皆さん自身が血縁者にはそういう危険性があるという認識でおられるはずです。そこでご家族に専門知識のないまま、説明し、検査を勧める必要に迫られることがあるはずです。問題はそこなのです。
検査を受けなければ、乳がんを罹患した方ご本人が、ご本人やご家族の、将来のがんの危険性について、しょいこむことになってしまうのです。たとえ自分のことはどうなってもいい、そう思われている方であっても、家族にまでがんの苦しみを背負わせたくない、そう思っている方であるほど、検査を受けないでいる限り、HBOCの可能性から解放されることもないまま、また誰の助けも借りることもできずに、それをしょい込まなければならないのです。

私は、乳がん患者さんで、先に述べたBRCA遺伝子バリアント陽性の危険性が高い方に、必ず一度はそのことを説明し、カウンセリングを受けられるよう勧めています。ただカウンセリングを受けられた患者さん全員が実際に検査を受けられるのではありません。割合として1割くらいの方が検査を受けられ、9割の方は保留されるようです。

私のところに帰ってきた患者さんは、せっかく勧めていただいたのに検査を受けなくてすいません、と申し訳なさそうに謝られます。ただ私は検査を受けられない方に必ずこういうのです。
「いえ、謝ることなどないですよ。私はほっとしているのですから。」

BRCA遺伝子バリアント陽性の方は検査を受けようが受けまいが陽性です。乳がんに限らず、がんについて様々なリスクがあります。
陽性とわかっていない、検査で確定していないのであれば、医師の方か陽性の場合に準じた、過剰な検査をすることはありません。検査の押し売りはできないからです。
ただもし検査で陽性と確定している方であれば、その方が来院されている限り、その方のリスク管理は医師が背負わなければなりません。少なくとも乳腺、乳がんに関しては、間違いなく医師側にリスク管理の責任があります。来てくださればもちろんそのご家族もです。つまり検査を受けて陽性と診断されれば、その後将来のがんに関しては、医師にリスク管理の責任が移るのです。
これが私の考える検査を受けて、陽性と診断された場合のメリットになります。

繰り返しますが、検査をしなくても、HBOCのリスクから逃げられるわけではありません。確かに実際に検査を受けて陰性と確定した時にはその不安からは解放されます。ただお分かりの通り、乳がんの可能性からは解放されません。特別な注意が必要ではなくなる、それだけです。
ただ陽性と診断されたとしても、その後のリスク管理は、医師や、遺伝カウンセラーが主に背負うことになります。もちろん医師や、カウンセラーの意見に耳を傾けていただくことは必要です。ただ患者さんが一人でしょい込む必要はなくなるのです。その意味から私はやはり解放されるのではないか、と考えています。
全部知らなければよかった、それはそうかもしれませんが、過去には帰れません。
もしすべてを忘れることができたとしても、これから必ず必要になる知識だからです。娘さんが、姪御さんが、家族のだれであっても、今後病院を受診した時には家族歴を尋ねられるからです。
未来に向き合うなら、正しく向き合う、一人ではなくみんなで向き合っていけばいい、そう思います。

プレゼンテーション2