乳腺と向き合う日々に

2024.07.31

がんって難しい・・・その2

乳がんの外科医は、患者に予防的両側乳房切除を勧めない傾向にあります。なぜなら、両乳房を完全に切除しても生存率は上がらないことがデータで以前から示されているからです。前回もそのことについて改めて示しました。このように大規模な疫学研究による新しいデータはそれを裏付けていますが、どう考えてもこのこと自体は不可解です。乳がん生存者で、反対側の乳房に二次乳がんを発症した人は死亡率は高い。しかしだからといいて手術でそのがんを予防しても結果は変わらないのです。

最初の乳がん、そして反対側に後になって発症した乳がん、本来はそれぞれ別のものであり、少なくとも新しいがんが、もともとあった乳がんの予後に影響を与えるはずはないはず。反対側に乳がんになった場合には予後が悪いことがわかっている。だから反対側を予防的に切除してしまった。そうすると反対側に乳がんが発生する確率はさがる。でも長期的に見て、乳がんで亡くなる確率に差が出なかった、え!?

え? え?よくわからない。

トロントのウィメンズ・カレッジ病院の乳がん研究者で医師であり、この研究の主執筆者であるスティーブン・ナロッド氏は、2000年から2019年までに乳がんと診断され、3つの手術オプションのいずれかを受けた10万人の女性のデータを比較しました。

手術を受けるすべての乳がん患者は、

1 腫瘍と一部の周辺組織のみを除去するより簡単な手術である乳房部分切除術、
2 影響を受けた乳房のみを切除する片側乳房切除術
3 両側乳房切除術 のいずれかを選択します。

片側乳房切除術のポイントは、同じ乳房へのがんの再発、つまり同側再発を防ぐことができることです。同様に、両側乳房切除術は、残された乳房でのがんの再発も防ぐ。これを行わないと、反対側乳がんが発生する確率は約7%です。

分析結果からは、3つのグループ間で生存率に大きな差はありませんでした。どの手術を受けたかに関係なく、20年間の追跡調査で女性の80%以上は乳がんで死亡しませんでした。

しかし同時に、この論文では、後にもう一方の乳房に乳がんを発症した女性の死亡リスクは4倍高いことも示されています。

そこに難問があるとナロッド氏は述べました。この結果の原因はまだ完全には明らかになっていません。

これを解決する一つの考えは、

反対側の乳がんの発生は、最初のがんからの”転移”である、という考え方です。そうであるならば、反対側の乳がんが発生した方は、転移があるのだから、予後は悪い。そして多くの場合、その転移は乳腺だけにとどまらず、肺、肝臓、骨にも検査で捕まらないような小さな転移が同時に存在することの表れであるので、たとえその反対側の乳腺を、手術の時に同時に切除していたとしても予後は変わらない。つまり乳房の予防切除には意味がないことを説明できます。

温存切除後、同じ乳房での再発は予後が不良であることと関連しています。しかし今回のことと同様に、乳房温存切除と乳房全摘除では生存率に差がありません。それは皆さんもよくご存じです。この理由と状況が似ているかもしれないということです。

基本的に乳房をすべて切除したからと言って転移再発のリスクは下がらないとされています。温存後の残った乳腺にがんが再発してきた場合、これは最初の腫瘍が非常に悪性度が高いこと、つまり転移をきたしやすいものであったことの兆候である可能性があります。温存後の乳腺にがんが再発することは、”取り残し”を意味するだけではなく、そのがんはたちが悪く、最初から全身的に何かが起こっているというシグナルとなっている、だから肺、肝臓、脳、骨も影響を受けている可能性があります。だから乳房を全摘しても温存しても結局として生命予後に影響はでないと考えられます。

これとよく似た考え方で、反対側の乳がんも、もともとの側の乳がんからの転移であるならば、同じ理屈で予後が変わらないことが説明できてしまうのです。

スペース

ただこの考え方は少し無理があります。

2007年のスウェーデンの研究では、最初の乳がん診断から5年以内にもう一方の乳房にがんを発症した女性は死亡する確率が高かったが、最初の診断から10年以上経って対側乳がんを発症した女性はそうではなかったと報告されています。先の考え方が正しいなら、短い期間に対側に発生した乳がんは、最初のがんからの転移、10年以上たってからの場合は全く新しいがん、という考え方になります。それはそれで納得ですが、一部の対側乳がんは、転移ではなく、新しい乳がんだ、ということになります。
反対側の乳腺を切除してしまえば、少なくとも新しいがんは予防できるのですから、やはり予防切除は有効でなければなりません。しかし予防切除の死亡率に与える影響は証明されていません。矛盾します。

もう一つの考え方は、がんは発生すればすべて全身病である、という考え方に基づきます。

つまり最初のがんが発生したら、治癒したように見えても転移は起こっていて、しかし何らかの理由でおとなしくしている。そして反対側の腫瘍の出現が、最初のがんから体中に散らばった悪性細胞を揺り起こし、より攻撃的な行動を引き起こす、という考え方です。最初のがんが治療された後、目に見えず、検査で捕まらない、早期の遠隔転移細胞は休眠状態にあります。そこに留まっています。何も起こらなければ、転移としてあらわれてくる可能性は低い。しかし、反対側の乳房に、あるいは温存で残された乳房にでも、2番目の腫瘍が発生し、その腫瘍が体中に自身の細胞を拡散した場合、最初のがんから転移して眠っていた転移の形成が加速される可能性がある、と考えられます。

しかしこの考え方もおかしい。だって2番目のがんは対側乳腺を切除してしまえば予防できている。2番目のがんからの刺激も起こらなくなるのだから、最初のがんからの見えない転移を刺激して呼び起こすことも予防できるはず。だったら生命予後は改善されるはずです。

今回の結果は、偉い先生方が考えても、うまく説明できる理論がないようです。
仮説すらない状況ですから、この矛盾を解決するための実験、研究も現状行いようがありません。
この矛盾をうまく説明できる理屈を考え付けば、別に何の医学知識がなくても、考え方だけでも論文で発表できるはず。それが誰からも納得できる、このおかしながんの”振る舞い”を説明できるものであったなら、大変なインパクトがあると思います。眠れない夜にどうですか?